ビューア該当ページ

帝国婦人協会

584 ~ 586 / 915ページ
 同会は、明治三十一年華族女学校学監下田歌子によって女性の能力向上のために結成され、東京に本部を、各地に支部を置いた。北海道へは三十四年八月から九月にかけて遊説し、それを機に札幌支部が発会した。下田歌子は、三十一年の同会結成以来毎年地方遊説を行い、三十三年には信越・北越地方を遊説して支部結成につとめ、すでに通常会員は二五〇〇余人、このほか名誉会員五〇余人、特別会員二〇〇余人といった大組織になっていた(道毎日 明34・8・18)。

写真-9 帝国婦人協会 会長 下田歌子

 三十四年八月五日来札した下田歌子は、北海道教育会第一四回夏期講習会に招かれ、会場である札幌女子尋常小学校において家政学を講義した。はじめて来札の歌子は、引っぱり凧で区有志や月寒の第二五聯隊の将校夫人等の招きで女子教育に関する演説を度々行い、女子が積極的となって国家のために富を作ること、そのためには勤倹貯蓄につとめること、女子の手の器用さを活かして手芸、造花、編物を奨励すること、精励勤勉につとめ国を富ます方策等について熱心に説いた(道毎日 明34・8・15)。下田歌子の夏期講習会における講義内容や各地での講演内容は、同年北海道教育会より『下田歌子先生家政学講義』として刊行された(表18)。
表-18 下田歌子家政学講義内容 (要約,明治34年)
1回8月 6日女子教育従事者の心得
家政科教授者の心得
2回8月 7日家政学総論
(1)家政学の注意 (2)主婦の心得
(3)家族の注意  (4)一家の風紀
3回8月 8日(1)家内衛生   (2)家事経済
4回8月 9日飲食
5回8月10日衣服
6回8月11日(1)住居   (2)家屋の構造
7回8月12日(1)小児教養 (2)家庭教育
8回8月13日(1)養老   (2)看病
9回8月14日交際
10回8月15日(1)避難   (2)婢僕使役
教育講話日本女子の心得 (札幌にて)
日本女子の行為 (札幌にて)
将校夫人の心得 (二五聯隊にて)
女子の行為 (岩見沢にて)
欧州家庭談 (教育会茶話会にて)
礼法について (札幌にて)
北海道教育会編『下田歌子先生家政学講義』(明治34年刊)より作成。

 札幌支部は、下田歌子来札を機会に九月二十一日発会した。支部長に大迫とき子(大迫尚敏第七師団長夫人)、副支部長に佐藤陽子(札幌農学校佐藤昌介夫人)、理事に大窪はる子大島信子安部安子藤村晴子、評議員に谷くに子(谷七太郎夫人)、荘司とよ子(荘司斌夫人)、阿部ツネ子(阿部宇之八夫人)などであった。入会者は特別・賛助・通常会員など合わせて二〇〇余人にのぼった(北タイ 明34・9・18~10・17)。
 札幌支部の活動は、月例会で女子の修養に関することを学習することが主であった。三十六年八月には来道中の鳩山春子や下田歌子の講演会が開催され、来会者は各四、五百人にものぼった(北タイ 明36・8・16~28)。
 三十七年二月に日露戦争が勃発すると、同会はすぐさま軍資献納の件について協議し、各自一円、五〇銭、三〇銭というように献金活動を開始した。これは愛国婦人会が出征軍人遺家族慰問や労力の提供に徹したのと比べ、性格が異なるところでもある。早くも五月五日の『北海タイムス』には、全道の帝国婦人協会軍人家族救護金献金者の氏名、金額が掲載され、九九二二円一〇銭におよんだと報道された。実にすばやい対処である。
 札幌支部でも七月段階で一二三四円三四銭が集められ、一〇〇円ずつを陸軍・海軍恤兵部へ寄付し、一〇一三円八八銭を北海道出征軍人遺族救護費へ寄付することとした。この時大塚富世子札幌支部長(愛婦支部長をも兼任)から北海道尚武会へ委託され、遺族へ配布された。さらに、同支部では各会員が一円ずつ醵出して札幌方面から出征する兵士へ物品を贈ることとしている(北タイ 明37・7・17~9・25)。
 同会札幌支部は、三十九年四月段階で会員はおよそ一〇〇人、ほとんどが愛国婦人会会員をも兼ねているというのが実状であった。同月、愛婦への協力事業が一段落したので、本来の会のあり方に戻って、帝国婦人協会の発展のために毎月講話会を開催して知徳を磨くこととした。このため適切な講師を招いて料理法、裁縫等の講習会を開き、女性に必要な技術の修得につとめることとし、広く会員を募集した(北タイ 明39・4・10)。
 なお、帝国婦人協会会長下田歌子は大正九年(一九二〇)愛国婦人会第五代会長に就任している(国史大辞典)。