この汚物掃除法が実施される以前は、大通西八丁目などの空き地及び一般街路や家屋の脇に塵芥を投棄する者が跡をたたず、警察署で厳重注意をする程度であったが、三十四年十月より各衛生組合の請負で、塵芥・汚泥を馬車で指定された塵芥捨場(大通東四丁目、北八条東二丁目)まで搬送して焼却した。三十五年十月より三十六年九月までに搬送された塵芥は馬車台数にして二万七〇〇七台、汚泥は六二五台にものぼった(札幌区事務報告)。
また、汚物掃除法では、各戸ごとに塵芥容器を備え付けることが義務付けられ、いたずらに道路や屋外にごみの投棄を禁じ、監視員が巡回して注意した。これまで自費で塵芥処理にあたってきた区民は、ひたすら区役所の収集用馬車が回って来るのを待ったが、初期にはたった九台しかなかったので、区民の要望に追いつかない状態であった(北タイ 明34・12・20)。四十一年四月からは、塵芥処理が滞り、ために衛生上早急を要することから区の直営事業に切り替えた。札幌区役所による汚物処理量は表26のとおりである。札幌の市街形成の拡大、人口の増加に伴い、このように増加傾向にあることが知られる。塵芥量の多い少ないは、人口増ばかりを意味するとは限らず、むしろ都市の消費生活様式、あるいは社会生産様式、生活文化の形態などにも関係していると考えられるが、ここでは詳しいことは触れないでおこう。
表-26 札幌区汚物処理量(明41~大11) |
年 | 塵 芥 | 汚 泥 | ||
馬車台数 | 重 量 | 馬車台数 | 重 量 | |
明41 | 38,538台 | 4,393,332貫 | ||
42 | 40,755 | 5,297,085 | ||
43 | 38,734 | 5,391,633 | ||
44 | 35,051 | 4,879,098 | ||
大 1 | 40,828 | 5,683,257 | ||
2 | 36,788 | 5,349,410 | ||
3 | 41,293 | 6,317,829 | ||
4 | 41,593 | 6,363,729 | ||
5 | 39,009 | 5,968,377 | 2,670台 | 552,690貫 |
6 | 43,479 | 6,499,287 | 3,079 | 637,353 |
7 | 39,788 | 6,087,564 | 2,858 | 591,606 |
8 | ? | ? | ? | ? |
9 | 52,128 | 14,277,584 | 2,490 | 749,591 |
10 | 61,175 | 9,377,659 | 4,201 | 1,132,355 |
11 | ? | ? | ? | ? |
1.毎年10月より翌年9月までの期間。 2.大正4年までは塵芥の中に汚泥も含むと思われる。 3.『札幌区事務報告』より作成。 |
札幌区では、毎年春融雪期を迎えるとともに、冬期間積雪中に埋もれていた塵芥が露出し不潔きわまりなかった。とくに豊平村への市街道路は馬糞と塵芥が堆積しており、融雪とともに悪臭を放ち「馬糞風」となって飛散する有様であったので、巡査が戸毎に厳重注意し、従わない者は告発処分の対象となった(北タイ 明35・3・26)。
なお、屎尿汲取は汲取営業者三〇数人に委託し、近郊農家の肥料に提供していたが、大正七年、大戦の影響によって農家も景気が潤ったことから人造肥料を使い出し、このため需要が落ちこみ、折からの博覧会景気によって便所汲取人夫まで不足し、かつて一回二、三銭だったのが一〇銭にも値上りする始末となって区民を困却させた(北タイ 大7・4・20)。同年札幌警察署では、営業者を本署に呼び出して汲取時間を午前三時より七時の間に行うなど指導を徹底した(北タイ 大7・6・26)。