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就学督励と「名誉旗」の授与

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 学齢児童の就学率の上昇は、明治三十年代の北海道教育の大きな課題であった。北海道の就学率は三十年度に四八・六八パーセント(全国平均六六・六五パーセント)、三十一年度に五〇・八七パーセント(同六八・九一パーセント)、三十二年度に五二・七六パーセント(同七二・七五パーセント)、三十三年度に七〇・三八パーセント(同八一・四八パーセント)であったように、全国平均と比較して隔たりがあり、日本全体のなかでは沖縄県と並んで最も下位に位置していた(文部省年報)。そこで、北海道庁は就学率を上昇させるための具体的な方策を検討し、三十四年三月に「学事奨励ニ関スル規程」(訓令第一五号)を制定した。これは三十二年の「教育基金令」(勅令第四三五号)に基づくものであるが、このなかに設置区域(通学区域)内の学齢児童の就学と出席の割合が九〇パーセントに達した小学校に「名誉旗」を授与することを盛り込んだ。「名誉旗」は縦が約九〇センチメートル、横が約一三〇センチメートルの大きさで、紫色の地に雪の結晶と白い梅の花をあしらったものである(写真1)。この制度は四十一年三月に「学事奨励ニ関スル規程」が一部改正されるまで存続し、全道で一二二校が「名誉旗」を授与された(小樽新聞 明41・4・3)。

写真-1 名誉旗制式(北海道教育令規 明37)

 札幌区内でも、三十五年度にいち早く創成尋常小学校北九条尋常高等小学校豊水尋常小学校札幌女子尋常小学校の四校が「名誉旗」の授与を受けた(北タイ 明35・6・4)。北九条尋常高等小学校の『沿革誌』(明42・7起)にはその様子が次のように記されている。
〔編注・明治三十五年〕十月十五日当校職員及児童一同北海道庁玄関前ニ整列シ(創成尋常小学校豊水尋常小学校札幌女子尋常小学校ト共ニ)校長旗手ヲ伴ヒ長官室ニ於テ園田長官ヨリ名誉旗ヲ受領シ各自之ヲ擁護シ、帰校後名誉旗受領式ヲ挙行シタリ、当日臨席者区長代理第二課長杉本喜久次郎(ママ)、代議士浅羽靖、区会議員上野正、琴似尋常高等小学校長羽田守一郎、北海女学校長北村マサ、札幌中学校教頭益子恵之助、北海道庁視学工藤金彦外有志者八十余名等ナリ

 このように「名誉旗」は北海道庁長官から直接授与され、また「受領式」も区長代理、代議士、区会議員、教育関係者など多数の来賓を招いて開催したように、その授与は小学校にとっては文字通り「名誉」なことであった。札幌区ではこの四校のほかに東尋常小学校が四十年度に(小樽新聞 明40・4・6)、隣接する諸村では篠路村の江南尋常小学校が三十七年度にそれぞれ「名誉旗」を授与された(小樽新聞 明38・2・4)。この使用方法は「名誉旗取扱ノ件」で定められ、儀式では式場や校門に、運動会では会場の「主部」に掲げられた(内務部長通牒第三八三六号、明34・10・10)。「名誉旗」は一度授与されても、就学と出席の割合が九〇パーセントを下回ると使用が停止された(北タイ 明35・6・4)。
 この就学督励の手段としての「名誉旗」の授与は、表1から明らかなように札幌区の就学率上昇の大きな要因となったといえよう。区制を施行した翌年度(明33年度)では、名目上の就学率はすでに九〇パーセント台(九一・八四パーセント)に達していた。これは函館、小樽の両区を加えた三区のなかでは最も高率であったが、実質的な就学率といえる通学率はそうではなく、八四・七二パーセントに過ぎなかった。「名誉旗」授与制度創設後は通学率も着実に上昇し、三十六年度には初めて九〇パーセント台(九二・八一パーセント)に達した。区当局の積極的な就学督励の「成果」であろう。
表-1 三区の就学率・通学率の推移
年度札 幌 区函 館 区小 樽 区
就学率通学率就学率通学率就学率通学率
明3391.84%84.72%77.21%69.79%87.72%80.75%
 3493.2986.9881.9275.7686.1078.59
 3591.2787.1484.4179.1189.2882.11
 3697.9592.8189.3383.1491.5984.29
 3798.5694.2095.3489.4594.4986.53
 3899.4595.4998.1392.7896.0589.04
 3999.3796.2498.7193.5696.6289.72
 4099.5094.8998.7592.7597.0290.83
 4199.6595.2499.0694.2797.2691.77
 4299.7594.9399.3594.3697.8491.87
 4399.9195.5698.8094.1798.7193.44
 4499.8495.3399.1994.4897.0791.95
 4599.4694.6398.9494.0093.8888.57
1.就学率・通学率は男女の平均値である。
2.就学率は,年度により小数点第3位の処理方法が異なっていたので,再計算のうえ四捨五入し統一した。
3.『文部省年報』(各年度)記載の数値をもとに算出。

 諸村の就学実態を全般的に明らかにするには、史料があまりにも不足している。ここでは手稲村円山村の両村の実態について言及しておこう。手稲村の就学状況は『明治四十一年札幌郡手稲村勢一班』に基づくものであるが、手稲三村(上手稲村下手稲村山口村)の名目上の就学率はいずれも女子が男子を大きく上回っている。札幌区でも女子が男子を上回ることが時々あったが、その差にしても一ポイント内外で、有意差とはいい難い。上手稲村では男子八三・三三パーセントに対して女子九一・四二パーセント、下手稲村では男子五二・〇〇パーセントに対して女子六八・七五パーセント、山口村では男子八五・七一パーセントに対して女子九〇・〇〇パーセントである。この理由は不明であるが、男子の労働力を必要とする何らかの事情が存在していたことを窺わせる。円山村の場合は手稲村とは逆に男子が女子を上回っている。名目上の就学率と思われるが、四十二年では男子九七・六一パーセントに対して、女子七八・八二パーセントというように二〇ポイント近くの差があったが、四十四年にはそれが大幅に縮まり、男子一〇〇パーセントに対して、女子九八・七〇パーセントとなった(札幌郡藻岩村大字円山村部落状況)。