各仏教教団では、明治三十年代に入り北海道布教を本格化していく。その際に拠点とされたのが
道都札幌であった。北海道布教を最も展開したのは
曹洞宗ならびに
浄土真宗、なかでも大谷派と
本願寺派であった。大谷派では札幌に明治三年十月に札幌管刹所を置き、九年四月に別院と改称して道央部の拠点としてきた。しかしながら、北海道全体の宗務を統轄する北海道寺務出張所は二十三年四月に函館に設置されており、いまだ札幌の位置は低いものであったといえる。それが二十九年十月に札幌別院内に札幌支所が新たに設けられ、別院輪番が支所長を兼務することになった。その後四十二年に至り、寺務出張所は函館大火の類焼もあって
北海道庁や主要官公署が所在し、「中央枢要の土地」(東本願寺北海道開教史)である札幌への移転が決まり、五月二十日に開所となった(建物が新築され四十三年六月五日に事務所開所式を挙行)。ここに札幌は初めて大谷派の全道の拠点となるのである。
写真-4 北海道寺務出張所の新庁舎開所式
他の
浄土真宗では、
本願寺派がすでに八年に別院を設置していたが、二十六年四月二十八日に
真宗教会本部事務所を設けている。高田派は二十五年十一月に札幌教務所を開き、三十五年二月二十日に専修寺別院の寺号公称を得た。
興正派は三十一年に
説教所並びに本山出張所を開いた。そして三十四年九月二十三日に別院昇格となった。このように
浄土真宗の各派では、札幌を宗務・布教の全道の拠点に据えており、札幌が〝宗都〟としての役割を帯びてくるのである。
また、日蓮宗の
経王寺はこれまで函館の実行寺の末寺であったが、これを「遺憾」とし、「数年以前より総本山なる身延山久遠寺の直轄に改めんものと運動」し、三十三年七月に本山換えをはたしている(北タイ 明33・7・11)が、これなども寺格上の体面の問題もあったであろうが、やはり札幌という
道都の所在することがこのような問題に影響を与えていたはずである。