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「札幌の教会、教会の札幌」

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 札幌の教会は、この二〇年程の間に各教派の全道的活動の拠点となり、また超教派による活動の発信地となった。この時期次々と精力的に開催された大規模伝道集会が、キリスト教信仰を多くの市民に伝える機会となり、教勢は目覚ましく伸展した。
 そのような教会の伸展のなかで、北辰教会は、大正九年に日本のキリスト教発祥の地の一つである、札幌という名を冠する意図で、教会名を「札幌日本基督教会」と改称した。そして教会は「札幌の教会」として立ち、また「教会の札幌とせねばならぬ」(鶏鳴 第二二八号 日本基督教会札幌北一条教会創立六十年史再引)と強調された。「教会の札幌」にしようというのは日本基督教会ばかりでなく、各教会が共通して抱いていた志望であろう。「教会の札幌」と言われるためには、教会の宣教が、教会の量的な拡大だけではなく、個々の市民のなかに深く到達する必要があった。
 社会的に大きな影響力を持ったと思われる協同伝道にも一つの限界があった、と組合教会の海老沢亮は指摘した。海老沢によると、協同伝道は社会問題・道徳問題・教育問題についてのキリスト教の見解を述べ得たが、「基督教の根本真理」に触れていない面があり、「而して世の要求は(中略)宗教思想の深遠なるもの、或は教理の奥妙なる味ひ、其(その)霊的生命を養ふものを見出さん」と求められている、という。しかもそれは、キリスト教の古い時代の衣裳を脱ぎ、「其根本的生命を把え其核心を以て現代基督者の生命を養はん」とするもので、聖書の記述や伝統的教理をそのまま受け容れること(「字義的解釈」、既成の権威の絶対化)の克服が必要である(北光 第三四号)と主張されている。これは社会の「進化」に対応する宣教の核心、信仰の根拠を確立しようとするものであった。
 日本基督教会はこの時期の後半、大正二年に高倉徳太郎が牧師となり、次いで七年に小野村林蔵が就任した。ともに説教者として教会内外に影響を与えた。このうち高倉は、のちに『福音的基督教』(昭和二年刊)などの著作でわが国の代表的神学者の一人となったが、札幌時代は高倉神学の揺籃期であったといわれている。札幌時代の高倉の説教は、キリストの十字架による贖罪(人間の罪のためキリストが十字架にかけられたこと)と活けるキリストの恩寵(復活したキリストが活きて人の内に働くこと)を説いて、会衆に深く訴えた。また、信仰生活の具体的な表現として聖日礼拝を守る意義を強調して、礼拝を中心とする教会形成を進めた。これらによって教会は学生をはじめ多くの青年たちをも加え、札幌で最有力の教会となった。教勢の伸展は後任の小野村林蔵の時代にも引き継がれた。
 小野村はこの時期の最後、大正十一年に、松村松年(しょうねん)(北海道帝国大学教授、昆虫学)と「科学と宗教」について激しい論争を交わした。これは松村が『北海タイムス』『小樽新聞』(のちには『東京日日新聞』に論争の舞台を移した)に、前後三三回にわたって「科学と宗教戦」「科学上より見たる宗教」「基督論」を掲載したことを契機として起こった論争である。かつて独立教会員でもあった松村が、一転して、進化論によって宗教、なかでもキリスト教の主張の根底は破壊されてしまった、人類は科学や知育によって文明を導くべきだと主張したのに対して、小野村は、科学と宗教は矛盾しないと反駁し、松村の典拠は不確かであると批判した。小野村のほかにも、知育より霊育をと主張する海老沢亮やカトリックの詩人三木露風の反論などが相次いだが、小野村はこの論争のキリスト教側の中心的な論客となった。
 論争は、キリスト教が今日信じ得るものか、また現代に意義あるものかという論点と同時に、松村が進化論を敷衍して社会の優勝劣敗論を展開するという論点もあり、二つの焦点を持つ内容であった。この論争の決着はつかなかったが、キリスト教の教理への批判と反批判の論争が、一般の新聞紙上に長期にわたって連載されたところに、キリスト教に対する市民の関心の広がりを見ることができよう。
 またこの時期、市内の中心部を転々として会堂を移してきた当初からの七教会が、多人数を収容する恒久的な会堂を相次いで都心に建築し、比較的長期にわたって定着することになった。それらは表8のとおり、大通・北一条の東六丁目から西一一丁目とこれに交差する創成川河畔に集中し、札幌に一つの景観をかたち造った。教会の規模の拡大と安定は、それを支えた信徒の社会的成熟の反映とも見えた。このようにして、二〇年の間に多くの教会が確立し、キリスト教界全体としても市民のなかで地歩を占め、一定の社会的位置付けを得たといえよう。
表-8 主要7教会の会堂の位置と建築年代(明治37年~昭和11年)
建築当時の教会名称建築場所建築年次使用廃止年次現在の教団・教会名称
札幌美以教会北1条
東1丁目
明治37年
(1904)
現存日本基督教団札幌教会
札幌組合基督教会南1条(大通)
西1丁目
大正2年
(1913)
昭和43年
(1968)
日本基督教団札幌北光教会
札幌天主公教会北1条
東6丁目
大正5年
(1916)
現存カトリック北一条教会
札幌聖公会北8条
西6丁目
大正6年
(1917)
昭和42年
(1967)
日本聖公会
札幌キリスト教会
札幌独立基督教会南1条(大通)
西7丁目
大正11年
(1922)
昭和37年
(1962)
札幌独立キリスト教会(単立)
札幌日本基督教会北1条
西6丁目
昭和2年
(1927)
昭和54年
(1979)
日本基督教会
札幌北一条教会
札幌ハリストス正教会南7条
東1丁目
昭和11年
(1936)
昭和45年
(1970)
日本ハリストス正教会教団
札幌ハリストス正教会
(付)札幌ホーリネス教会南1条(大通)
西11丁目
昭和7年
(1932)
昭和61年
(1986)
ホーリネスの群札幌新生教会(単立)
札幌日本基督教会(明治40年建築)の仮会堂は省略


写真-13 札幌組合基督教会堂(献堂式)


写真-14 札幌独立基督教会