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教化運動と敬神思想の普及

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 昭和期に入っては、まず昭和三年十一月に行われる即位礼の御大典を前にして、北海道神職会では九月二十日に氏子崇敬者総代会を開催し、「敬神思想普及ニ関スル件」が提起され、御大典を契機とする運動が起こされていた。さらに四年九月に文部省によって国体観念の明徴、国民精神作興を軸とした教化動員が実施されるようになる。道庁でも九月十九日に「教化総動員に就いて」の告諭、二十一日に「教化総動員ニ関スル件」の訓令を出し、教化運動が展開されるようになる(新北海道史 第五巻)。このように敬神思想の普及が国民教化の主軸としてさまざまに図られ、強調されていく。そして皇室の慶事、戦争に関係しての神社参拝と奉祝や祈願は、これまでと同様に行われてはいたけれども、やがてその度数が頻繁化し、しかも大規模化していくようになってくる。
 敬神思想の普及と強化には、市町村などの自治体、部・区あるいは町内会部落会などの行政・住民組織、学校などの公的施設、青年団・在郷軍人会などの公的団体を通じて上意下達式に浸透が図られ、皇室崇拝の通路である神社への参拝が忠君愛国の発露として強制化されていくのであった。特に札幌市と諸町村の場合、北海道唯一の官幣大社であり北海道の総鎮守とされた札幌神社が存在していたこと、札幌聯隊区と歩兵第二五聯隊が所在した軍都であったこと、その関係で英霊を奉祀する札幌招魂社札幌護国神社が存在していたこと、道都として北海道の政治・教育・文化の中心であったことなどにより、敬神思想のいっそうの普及・強化が行われていたのであった。
 昭和初期は、連年にわたる凶作・水害により農村は疲弊し、その対策として地方の経済更生運動が実施されたが、その運動の精神的な中軸も敬神崇祖であった。白石村では昭和十一年四月に「札幌郡白石村是」を策定したが、その中で、「民風作興ニ関スル事項」の第一項で「敬神崇祖ノ念ヲ養フ事」とされ、以下の六つの実行要目が挙げられていた。
(一)祭祀・行事ヲ厳粛荘重ニシ、氏子一同参拝シ特ニ小学校、青年学校、男女青年団等ハ団体参拝ヲ行ヒ、各種重要事項ハ可成奉告祭ヲ行フコト。
(二)神社・仏閣境内ノ整備ヲ図リ常ニ清浄ニ努メ森厳ナラシムルコト。
(三)神社・氏神ノ神徳・由緒ヲ明ニシ適宜講演・講話ヲ行ヒ、一般ニ周知セシムルコト。
(四)一家ノ一家ノ(ママ)整へ其ノ由緒、祖先ノ苦心、来歴、徳業、家憲等ヲ明カニスル共ニ朝夕礼拝ニ努メ、祖先ノ忌命日ヲ厚ク弔フコト。
(五)神社及忠魂碑前ヲ通過ノ場合ニハ敬礼ヲ励行スルコト。
(六)墓地ヲ清浄ニシ祖先ノ命日ニハ努メテ参拝ヲナスコト。

 篠路村でも十三年八月に策定された「経済更生計画書」の中で「農村精神の振作」が第一に謳われていた。それは農村における産業、経済、教育の上で「日本精神ヲ具現発揚スル」ことであり、具体的には国体観念の明徴として①国史の顕揚、②教育勅語の聖旨貫徹、③敬神崇祖の思想涵養、④皇太神宮及び皇居遥拝、⑤国旗崇敬、⑥祝祭日の意義徹底、⑦醇風美俗の涵養=報徳精神の普及、以上の七項があげられていた。