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公区の業務整備

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 昭和十八年三月市制改正により町内会部落会が法認され、札幌市の公区聯合公区は市役所の末端機関として法的根拠を与えられたので、十九年一月札幌公区及聯合公区設置規程を改正し、「公区市制第八十八条の二ニ依ル町内会」であることを明文化した。
 これに伴い、公区の業務執行組織を整備することになり、聯合公区事務所には市吏員一名を配置し、聯合公区事務長と呼んだ。その任免権は市長にあったが、聯合公区は事務長に市長の指定する手当を支給することとされ、聯合公区長の指揮監督のもとで業務を処理することになった。実際は事務長が市長の指揮監督を受けて公区を指導したから、事実上の聯合公区長的役割を果たしていくことになる。公区と市役所の関係は当初から合議の仕方、文書発受の方法、事務連絡の進め方など運営の円滑化をはかり、市公報附録として公区通信を発行したり、北海タイムスや小樽新聞紙面に回覧板欄を特設し公文書同様の取扱いを決めたりしたが、十七年七月から聯合公区には専任書記を置き、必要によって事務員も採用し、公区にも事務員を配置するようになっていた。
 一方、公区聯合公区役員は無報酬にもかかわらず、重い責任を担い多くの業務を抱えることになり、相互扶助とか奉公の精神だけでは役職を続けられなくなっていく。そこで十九年十二月から、これら役職者に市営交通機関と病院の利用に当たって優遇特例を与えることにし、さらに三年以上の在任者は年数に応じて表彰することとし、在任年数が一二年を越すと市政功労者と同じ待遇が受けられるようになった。
 このように公区制の強化をはからなければならなかったのは、戦時下の物資不足がますます深刻化し、配給制度が日常生活のあらゆる物資に適用され、配給が公区業務の重要な部分を占めるに至ったからである。隣組といえば配給という言葉が思い浮かぶほどに、公区隣組は日々の暮らしに密着していった。
 もう一つの理由として、戦闘の激化につれ市内の男性住民が戦場や軍需産業に徴用され、女性と子供の多いまちになってしまったことがあげられよう。昭和十年札幌市の統計史上、初めて女性人口が男性を上回り、十九年には女性一〇〇人に対し男性は八七人となり、圧倒的女性多数の社会が出現したから、防犯防諜防衛等の役割は、女性を中心とする公区運営の強化に期待せざるを得なかったのである。