ビューア該当ページ

諸町村の生産額

167 ~ 170 / 1147ページ
 表17は大正九年から昭和十四年までの諸町村の生産額の推移を示したものである。大正期までは割合と農業生産が安定しており急激な変化はみられず、札幌、琴似、手稲、豊平、白石の町村が一〇万円台を超える生産額を示していた。生産額のうち農産額がいずれも最も多くを占めており、十四年の場合でみると篠路、藻岩村では八割に達しており、他の町村も鉱産額の多かった手稲村を除きほぼ六割を超えている状況である(図4参照)。
表-17 各町村の生産総額 (円)
 札幌篠路琴似手稲藻岩豊平白石
大91,002,758471,6351,392,3651,044,832404,3992,284,7461,172,887
 101,193,431445,0051,385,5601,097,185354,2711,717,5141,317,495
 11835,440269,4131,322,004786,691413,9811,251,1631,265,887
 12838,017365,0771,429,391913,332396,3041,339,3711,399,837
 131,218,702443,9411,534,1871,139,458477,8951,511,0171,559,032
 141,359,718466,4461,524,1931,719,453462,0951,542,4311,567,470
 151,413,689452,2421,500,145991,703428,9461,347,3031,383,464
昭21,634,934507,8471,431,7341,161,151510,6611,485,0451,347,132
 31,533,556471,2261,589,3671,431,495425,6311,899,7871,390,223
 41,657,723447,1981,389,401590,227422,8861,508,7941,200,875
 51,744,620815,356414,1971,193,577
 61,528,405197,768773,400359,831222,908880,034395,900
 71,724,836301,687664,3361,135,986291,6941,207,843863,299
 81,501,287418,8651,064,7021,072,111337,1151,795,9831,494,050
 9621,403413,3111,413,7341,214,507312,8371,810,3421,688,963
 10753,631477,8431,157,1321,355,826304,9371,821,4061,612,006
 111,057,419565,3662,720,892792,308282,9845,007,3991,807,280
 121,204,957
 131,578,987947,0235,755,2692,819,703606,6083,127,2083,115,912
 142,312,4961,383,5097,370,5843,362,368925,7165,040,1792,693,969
石狩支庁管内要覧』及び各町村要覧等より作成。

 これが昭和に入ると五年から九年にかけての大凶作の影響を受けて、大きな落ち込みをみせるようになる。特に六年の落ち込みがひどく、大正十四年と比較すると手稲村は二五パーセント、白石村は三四パーセントにしか達しておらず、篠路村、藻岩村豊平町も五〇パーセントを切っている状況であった。特に水田地帯の農村が大きな痛手を受けていた。この状況が数年続いた結果、農家は窮乏をきわめて負債も増大し、農村は疲弊することになる。町村は税収の不足、救済土木工事の実施などにより財政赤字が深刻となり、社会的にも暗い影を落とすようになる。こうした状況も十年あたりからほぼ回復し、逆に十三年からは戦時体制下における食糧の高騰の影響を受けて好況に転じ、農産も空前の高い生産額を示していくようになり、生産の拡大などにより鉱工産も大幅に増大していく。
 図4から町村別の産額の内訳を大正十四年と昭和十四年を比較しながらうかがってみよう。大正十四年は各町村とも農産が主要であったが、札幌、琴似、白石村などは工産の割合も高かった。手稲村は鉱産が四九パーセントを占めていた。畜産が一〇パーセントを超えて割合と多かったのは札幌、手稲、藻岩、白石の各村、豊平町であり、また豊平町に林産が多いのは広大な御料林が存在していたからである。

図-4 各町村の産額内訳対照図

 これが昭和十四年になると鉱工産が飛躍的に伸びるようになり、琴似、手稲村は七三パーセントというように、藻岩村豊平町の伸びも著しい。琴似、藻岩村は工場の進出により工産が増大し、手稲村豊平町手稲鉱山豊羽鉱山の発展による鉱産の増大に起因している。その分、相対的に農産の割合が減少をみており、純農村を保っていたのは市街地を分離して札幌市に編入した札幌と篠路の二村のみであった。この十五年余りの間に諸町村の生産構成は大きく変化し、特に工産が増大している諸村は札幌圏へと包摂されていったことを示しているのである。