表-18 各町村の凶作による被害戸数 |
町村名 | 農業戸数 | 被害戸数 | 割合 | 要救済戸数 | 割合 |
札幌村 | 551戸 | 360戸 | 67% | 128戸 | 23% |
篠路村 | 395 | 196 | 50 | 227 | 57 |
琴似村 | 742 | 27 | 4 | 239 | 32 |
手稲村 | 480 | 337 | 70 | 176 | 37 |
藻岩村 | 330 | 156 | 47 | 89 | 27 |
豊平町 | 957 | 620 | 65 | 188 | 20 |
白石村 | 760 | 254 | 33 | 319 | 42 |
『北海道凶荒災害誌』(昭12)より作成。 |
被害戸数では琴似村の数値に不審な点があるが、最高は手稲村であり全農家の七〇パーセントを占め、次いで札幌村、豊平町が大きな被害を出していた。「要救済戸数」でみると篠路村が五七パーセントと高く、次に白石村となっており、この両村の農家が最も窮乏をきわめていたといえる。
昭和七年は九月初旬の集中豪雨による被害によるものであり、特に琴似村では三四七二・五町歩、札幌村では二四七五・六町歩の田畑が被害を受け、篠路村も九一〇・七町歩という大きな被害であった(北海道凶荒災害誌)。
こうした結果、農家の負債はかさむ一方であった。白石村では全農家で五〇余万円、一戸当たり七〇〇円の負債と見積られていたが(白石村事務引継書)、このために負債整理組合も設置されたところがあり、琴似村では篠路兵村(昭10・1設立)、南三・五番通(昭13・5)、白石村では山本区(昭13・3)、豊平村では滝ノ沢(昭10・3)・東御料地(昭10・9)の各組合が設置されていた。