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地区自治の諸相

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 『簾舞沿革史考』(大4)は、大正初期の地区自治の様子を伝える貴重な資料となっているが、豊平町大字平岸村の簾舞は、東簾舞・西簾舞の二部からなり、当時その下には一四組が編成されていた。簾舞は先の二部でひとつの自治会を形成しており、「部落申合せ規約」によると、「毎年一月総会を開き、年中行事の大要を協議決定」していたという。さらに「規約要領」には、「一、徳義を重んじ和合一致すること。一、稼業を励み勤倹貯蓄をなすこと。一、納税を怠らざること。一、専念に時間を確守すること。一、公会に出席すること。一、部落の決議を守ること」などがうたわれており、自治会では地区の融和、住民の生活安定、公共福祉の機能などに大きな役割をはたしていたといえる。簾舞自治会はその後、昭和十年頃までの存続が確認できる(豊平町勢一班)。
 札幌村の丘珠は自治組織が強固なところであり、地区文書も保管されているので実際の自治のあり方がよく判明する。大正四年四月三日に決定された「札幌村大字丘珠部落規則」によると、「本規則ハ当部落従来ノ弊風ヲ打破シ村ノ円満ヲ図リ風紀ノ改善、産業ノ発達ヲ期シ公共事業ノ率先ヲ主眼トス」とされている。部には「本部落ニ於ケル万般ノ事務ヲ統理スル」部長が置かれていた(住民二五歳以上の男子による選挙で任期は不定)。部の下には組があり、組長の相当する伍長(正副各一名)が置かれており、戸数の多い丘珠の場合は一〇組が存在していた。各戸からは部落協議費が徴収され、これらは
一、丘珠神社例祭及臨時祭之費用
二、土木費及衛生費(役場所管ハ除ク)
三、消防及ビ獣鳥虫害予防幷ニ殖産上ニ要スル費用
四、一村ノ義務若シクハ名誉ニ関スル費用。
五、入退営兵送迎ニ関スル費用。
六、会議ニ要スル費用(二月十一日総会費及伍長弁当料)。
七、其他必要ト認ムル費用。

に充てられていた。毎年一月に開かれた総会にて決算・予算・事業などの報告と協議がなされ、伍長通常会は三、九、十一月の三回、他に臨時会が開かれていた。一戸を構えた居住者は強制加入となっており、組は弔祭・扶助組織ともなっていた。区となってからも昭和五年の場合をみると、総会では区予算・決算の承認、区長・学務委員・衛生委員・神社総代の選挙などを行っており、地区自治に必要な人選と協議事項の多くがここで処理されていた。区は単に行政の末端組織にとどまらず、地区の協議機関、さらには公共福祉などの調整機関として枢要な役割をもっていた。
 大正後半期の白石村における『北海タイムス』通信員は、同村北郷の在住者であったらしく、北郷の地区自治の様相が割合と多く紹介されている。北郷は「白石村の模範部落として協同一致の精神に富み」とされていたところであったが(北タイ 大13・12・10)、部落会を中心に自警団、消防組、社交改良会、共盛貯金組合、奉公貯金会、信用購販組合などの会・組合が創設されており、十三年十二月には部落会と青年団と共同で、集会施設として倶楽部も建設されていた。文化面では、天台宗の北引接寺が中心となって児童日曜会、お伽話会、仏教会なども催されていた。北郷では各種事業にわたり住民が結集し、地区自治の進展をはかっていたようである。
 藻岩村の伏見では、戸主会が設けられて地区の自治、親睦、相互扶助、宗教行事の執行などが行われていた。戸主会は明治十二年に庚申講を催し、あわせて「各戸交互に会合し親睦を計る」組織として設けられたようであり、二十五年からは観音講、二十九年からは大山祇大神を奉祀する祝詞講を主催する地区組織であった。明治四十五年から正式に戸主会と称したようである。戸主会では集会場を持ち、毎年一月に総会を開いて地区の諸事、事業などを決め、道路の改修、入退営兵の歓送迎、善行者の表彰、講演会・祝賀会の開催などを行っている(伏見史稿 大15)。伏見には明治二十四年頃に「契約」という冠婚葬祭の扶助組織(大正十四年に四〇余戸の会員)もつくられていた。
 現在の中央区円山西町に当たる藻岩村滝之沢では、昭和四年一月に部落組織として滝之沢会がつくられた。滝之沢会は「家族的親愛主義を本とし会員相互の親睦を敦うし、苦楽慶弔を共にするを以て目的とする」とされ(円山西町の沿革 昭41)、居住する三三戸の戸主によって構成されていた親睦と慶弔などの扶助組織であった。