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市街地の拡大

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 大正期における札幌市の周辺への発展の実態を明確に示す資料はない。大正五年の新聞では、山鼻方面、中島遊園地方面、北二〇条方面への発展が著しいと、以下のように報じられている。山鼻方面は東西両屯田通を中心に家屋建築が進み、工芸学校(後の札幌工業高校、南14西13)の建築によりその周辺にも工場や別宅の建築が進んできた。普通家屋の建築は月ごとに増加の傾向をしめし、地所売買は日に数件という状態であり、地価は石山通に沿う場所は坪三、四円から二円七、八十銭、二円二、三十銭が標準相場である。遊園地方面は、当時噂のあった遊郭移転予定地の影響で、行啓通前後付近から豊平川堤防敷地にかけて地所売買が盛んになっている。標準相場は三円四、五十銭から四、五円、最低は三円で、坪二円以下は皆無の状態とし、遊郭の移転の暁にはなお一層騰貴するであろう。遊郭移転候補地であり医科大学建築地となった鉄道以北の北二〇条方面は、坪五、六十銭であったものが二、三円となり、最北の京都合資会社の地所(札幌区学田地に接続する地)すら一円二〇銭である(札幌区の郊外発展 北タイ 大5・12・18)。
 また札幌市会の陳情書の中に、札幌市内の豊平町と白石町の町民が町民大会を開催して決議した陳情書がある。陳情書は編入後道路など都市施設が整備されないことへの要望である。それによると、明治四十三年の境界変更で編入された豊平町と白石町は五九七戸であったのが、大正九年の国勢調査で一一三〇戸、大正十四年には三二〇〇戸を超過しているという。さらに同時に編入された苗穂町と山鼻村については、大正九年で「苗穂町ノ併合時ヨリ三十一割五分山鼻町ノ二十七割一分ノ増加歩合ノ如キ」に急増しているとする(大正十四年札幌市会書類)。前述の経画委員会の調査報告書(大札幌と都市計画)では、「区勢調査と国勢調査の期間七ケ年に於ける旧札幌の三割七分の増加に比し苗穂、元村は三十一割六分、山鼻二十割六分、白石七割六分、豊平一割七分」としている。札幌市(区)の世帯数と人口を、明治四十三年、大正九年、十四年、昭和五年で示すと表5のようになる。この数字と比較すると、豊平と白石・山鼻・苗穂の増加率が著しいことがわかる。
表-5 札幌市(区)の世帯数と人口の変遷
世帯数人口
明治43年14,945戸88,841人
大正 9年20,038102,580
1.34倍1.15倍
大正14年28,726145,065
1.92倍1.63倍
昭和 5年32,752168,576
2.19倍1.90倍
明治43年は「戸数及人口」(札幌区統計書 明44)より。大正9,14,昭和5年は「国勢調査ニ依ル世帯及人口」(第四拾弐回(昭5)『北海道庁統計書』所収より。

 もう一つ参考となる数字をあげると、後述される二つの『札幌都市計画区域設定参考資料』(札幌市役所)中の「札幌都市計画(予定)区域内の人口密度」と「札幌市内部分別人口密度調」で、大正九年国勢調査人口と大正十四年のそれを比較すると表6の通りである。都市計画区域内の隣接町村では、豊平町の一部以外はやはり人口が急増している。札幌市の発展の影響で隣接町村も人口が急増している様子がわかる。
表-6 (1)都市計画区域内の人口の変遷
市町村名大正9年調査人口大正14年調査人口
札幌102,580人145,060人
豊平町の一部3,9852,934
白石村の一部2,4013,595
札幌村の一部5,5326,765
琴似村の一部3,1853,634
藻岩村の一部2,1244,483
郡部の計17,22721,411
合計119,807166,471

(2)明治43年隣接町村から編入された地域の人口の変遷
地域名大正9年調査人口大正14年調査人口
札幌7,534人12,352人
藻岩村11,41425,970
白石村4894,874
豊平町5,43510,318
1.旧札幌村の地域は,東7丁目以東-鉄道線路以北,東7丁目中通以東-豊平川以北-鉄道線路以南。旧藻岩村の地域は,西11丁目道路以西-南14条道路以北-南3条道路以南,西4丁目道路及び鴨々川以西-西11丁目道路以東-南7条道路以南-但し西9丁目道路以西は南3条道路以南-南14条道路以北,西11丁目道路以西-南7条道路以南,西11丁目道路以東-南14条道路以南。
2.『札幌都市計画区域設定参考資料』(道図),『昭和二年札幌都市計画区域設定参考資料』(札幌市)より作成。

 さらに札幌の地図を年代を追って見ていくと、旧市街地から順次周辺に道路開削による街区画の設定がなされ、市街地化してきているらしい様子がわかる(図1及び図5参照)。
 新聞報道や陳情書などのいうとおり、札幌市は旧札幌区の市街地から順次周辺域を広げて隣接町村にまで広がりつつあったのである。