まず、昭和十年頃の札幌地域における養豚の動向をみると、札幌村は飼養戸数九四戸、飼養頭数二九二頭(以下同じ)、篠路村一四戸、二四頭、琴似村五五戸、二六七頭、手稲村二戸、三頭、藻岩村七四戸、三一七頭、豊平町二四二戸、一三九六頭、白石村一三七戸、五四八頭、札幌市は戸数不詳、三一五頭であった(石狩支庁要覧 昭10)。次に『豊平町史』によれば、「本町の養豚は古くから行なわれていたが、大正の末期から昭和の初めにかけて最も盛んであった。そして農家の副業としてばかりでなく専業とする者も相当にあった。それは本町内に農林省畜産試験場と北海道種畜場とがあって、種豚の払下げがあり、技術的指導も受けられたことが原因となったのである。初め大ヨークシャー系のものを払下げていたが、後に中ヨークシャー系のものに代わって来た。それは大型系よりも中型系の方が経済的に有利であったからである」と述べられている。
養豚が最も盛んに行われた豊平町や白石村には、養豚組合が設立され、各種の事業を実施した。すなわち、①平岸養豚組合(昭3・1設立)、所在地は豊平町字平岸村、組合員数二七人、飼養頭数八九頭(以下同じ)、②月寒養豚組合(昭3・3)、豊平町月寒本通、三八人、二五〇頭、③豊白養豚組合(昭8・1)、白石村字上白石、二八人、四二〇頭、④白石養豚組合(昭8・1)、白石村字厚別旭町、四五人、二二五頭となっている(農林省畜産局 本邦ノ養豚 昭4、昭8、昭12)。これらの養豚組合の主要事業は生豚、仔豚、種豚、廃豚の共同販売と、飼料(澱粉粕、醤油粕)の共同購入であり、その他に堆肥の増産や種豚の血統登録を行った。これにより純良な種豚を道内はもちろん樺太、内地府県にも移出して相当の成果をあげた。昭和十五年頃から道庁が種豚協会というものを設立して、この協会によって全道的に種豚登録事業を始め、種豚の販売斡旋を行うことになり、養豚組合は自然解消した。