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女子公民権案と市会

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 大正十三年十二月十三日、婦人矯風会理事久布白落実や婦選運動家市川房枝等を中心として婦人参政権獲得期成同盟会(14年婦選獲得同盟と改称)が発足した。翌年一月の第一回演説会を皮切りに対議会運動を開始した。十四年三月二十六日普通選挙法(但し男子のみ)が成立、五月五日公布された。しかしこれより先、市川房枝等をはじめとする婦選運動家たちは、女性を排除した普通選挙を非難、同年三月十日市川等の提案する四件(治安警察法中改正法律案、市制及町村制改正に関する建議案〔女子公民権の付与〕、婦人参政に関する建議案、女子教育振興に関する建議案)を議会に上程した(集成10)。
 婦人参政権運動はこれを機会に全国的に活発化された。昭和三年普通選挙法による第一回の衆議院議員選挙直後の三月二十二日、札幌では「婦人政談大演説会」が三友館を会場に行われた。当日の広告によれば、女子参政協会理事長山根菊子、同会理事三井一枝、大日本協愛婦人会理事長小手川倫子等六人で、立憲政友会北海道支部の後援であった(北タイ 昭3・2・22)。演説会は、すでに道内十勝地方を含む二一カ所で行われ、「女子参政の根本的意義」「婦人の要求」「婦人の力と帝国の将来」「婦人と政治」といった演題は、各地で盛況を呈していたという(北タイ 昭3・2・21)。
 四年十二月十二日、長野県会は婦人参政権即時断行の内務大臣宛建議案を満場一致で可決した。地方議会が婦人参政権を取り上げた最初であった(集成10)。それに続けとばかりに十二月二十六日、札幌市会(第6回)に立憲政友会木下三四彦議員により、「女子に公民権を与ふべく市制改正意見」が建議された。その理由には、
即チ年齢上ヨリ女子ハ普通選挙法制定以前ニ独立人トシテ婚姻ノ自由ヲ得ルモ、男子ハ満三十年ニ達スルニアラサレハ之ヲ得サルナリ。此点ニ於テ年齢上形式上男子ト同一ニ取扱フハ当然ナリト思料ス。之ニ加フルニ現代女子高等教育ノ普及ハ男子ト比シテ殆ント高下ナキニ至ル。然レトモ社会的、政治的ニ実際ヨリ見レハ、女子参政ニ関シテハ何等ノ権利ヲ今日迄与ヘラレス。
(昭和四年第六回札幌市会会議録)

と述べ、まず市会議員選挙の公民権の資格を付与してはどうかといった意見であった。しかし、市会では「時期尚早」として出席議員二七人中賛成一三、反対一四で否決された(第一期第二期札幌市会小史、北タイ 昭4・12・27)。これは女子公民権案が一地方議会で建議されたこと自体評価に値するのではなかろうか。
 その後、五、六年と婦人参政権運動は最も高揚した時期を迎える。五年四月二十七日、第一回全日本婦選大会を開催、参政権・公民権・結社権要求を決議。五月十日、婦人公民権案が衆議院本会議で初めて可決、十三日参議院審議未了。六年二月二十八日、またもや衆議院本会議にて可決、しかし貴族院では否決(24日)され成立しなかった(集成10)。女性は家庭にあって良妻賢母たるべしの論に押し切られた。