文化状況の札幌と東京との同時代性は、昭和初年においても一貫する。
昭和七年五月に開業した、銀座のモダニズムを象徴する三越札幌支店の宮島呉服係長は、「札幌は俸給生活者の多い土地でありますので、自然智識が中心となりその嗜好も流行の程度も殆ど東京と大差がない」としたうえで、三越の開設のモットーとして、「東京と同じものを同時に札幌に移す」と述べる(北タイ 昭7・6・5)。こうしたモダニズムが、東京と同時代的進行、時間的落差がないとする指摘は、風俗面のみならず、文化状況全般に指摘できる。ラジオ・出版が、同時代的な複製文化であることはいうまでもないし、映画も東京とほぼ同時進行する札幌の松竹座などの直営館もあった(さっぽろ文庫49 札幌と映画)。三岸好太郎は、何度も東京と札幌を往復し、春陽会、フォーヴィスム、前衛的な作風と新しい様式を札幌に伝えるとともに、彼自身も札幌滞在を揺籃として新しい様式に脱皮して行った(苫名直子 北方のモダン)。