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昭和初年代の歌集

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 札幌関係の歌集についてふれると、北大農芸化学科の学生で、詩や創作でも活躍していた南須原彦一の歌集『力の断片』が、私家版として大正十年七月に刊行されたのに続き、遠藤勝一の『林檎の花』が十一年一月に東京の出版社から刊行され、同年三月、辻義一の『生長する草木』が札幌冨貴堂から出版された。佐久間砂汀路編集の『北海道歌人選集』が十三年一月、札幌のアカシヤ社から出版され、加藤林四郎、川崎昇、川崎比佐志(田居尚)、鬼川俊蔵、相良義直、白山友正、戸塚新太郎など七七人の自選歌六〇九首が収録された。村山水明の『むらぎも』(アカシヤ社)は十三年十一月刊。北大教授の新島善直が在職二五年を記念して『書簡に代へて』(東京・三秀舎)を十三年十二月に出版した。
 昭和に入ると札幌一中で教えたこともある石森和男が大正五年に亡くなり、没後一五年を記念して息子の石森延男が遺稿歌集『谷廼葦切(たにのよしきり)』を昭和五年五月に刊行した。同年七月、札幌短歌会から白井重朗編『札幌短歌会記念歌集』が出版された。発行人の五十嵐久一は重朗と同期の北大予科生であった。出題主要会員に谷口波人、宍戸孝造、近藤紫村、杉岡孝之、斎藤白雨、山下秀之助代田茂樹長野英樹、山縣汎などの名がある。所属結社として覇王樹、北大文芸部、地上、潮音、霧華、林鐘、創作、ぬはり、無限、草火、八重樫、勁草、アララギ、あしかび、残光夢、、スバル、寒帯新短歌時代などの名が挙げられており、この時期の札幌短歌会の様子がうかがえる。
 山下秀之助の『冬日』は昭和六年十一月、東京の橄欖社から出版された。札幌鉄道病院の院長を務めながらの作歌四〇一首を収録していたもので、序文は吉植庄亮が書いている。
遠くより別れのしるしきみがするその手は暗に白かりしかも
この街のめぐりをよろふ山山の雪身にしみて大路をゆけり
よく晴れて眼路ひろびろし牧場の地(つち)をゆすぶり来るトラクター

 昭和八年四月、享年三〇歳で逝った小松秀子の遺作品を、白井俠児が編集して『しほなり』を札幌の薫黛社から刊行。小田観螢、岡本高樹、酒井広治などが序文を書いている。小松秀子は『芽の芽』『野の花』『霧華』『新墾』『潮音』などに作品を発表していた。
空き瓶に果敢なき生命もち耐へてなほつつましき矢車の花
あきらめし生命のまへにちらつきて忘られはせぬ子等二人なり