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建国祭音楽祭

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 昭和五年から十九年まで、札幌市役所主催の建国祭音楽祭が毎年行われるが、この音楽祭が札幌の第一人者が競う、最も重要な札幌の年中行事となる。
 昭和六年四月三十日発行の『コラール』(豊平館内札幌音楽協会所属、札幌混声合唱団機関紙)一六号の記事。
練習日誌 二月五日 建国祭の発表迄二回しか残ってゐない。従って練習にも油がのってくる。四人のソプラノが懸命にがん張る。ともすれば男声がおされ勝になる。男子よケッパレ!と叫びたい。

 一大イベント、建国祭に向けての熱気が伝わる。
 建国祭音楽会のパンフレットをみてゆくと、第一回(昭5)は主催が札幌市役所のみではじまったのが、第四回(昭8)には北海道精神作興会札幌支部が、第五回(昭9)には札幌市聯合婦人会が主催に加わる。第六回のパンフレットには、皇居遥拝、国旗掲揚、君が代合唱などの建国祭式典の式次が刷り込まれる。第一一回(昭15)建国祭記念大音楽会では、札幌市役所、北海道精神作興会札幌支部札幌市聯合婦人会に加えて、いまや札幌市銃後奉公会札幌市女子青年団札幌音楽協会札幌市教育会札幌邦楽聯盟の計八団体の共催となる(多米浩旧蔵史料)。
 第一回昭和五年二月十四日のプログラムは、〔第一部〕一、混声合唱「春の弥生」「うてや鼓」、二、ソプラノ独唱「護符」「波の上にて唄へる」(レーク夫人)、三、ピアノ独奏(伊藤千枝子)、四、ソプラノ独唱「曼珠沙華」「和蘭陀船」(村井真砂子)、五、バイオリン、ピアノ合奏(坂田義晴、鈴木清太郎)、〔第二部〕一、三重奏(ネプチューントリオ)、二、ソプラノ独唱「鴬のお昼寝」「蝶々」(村井真砂子)、三、バス独唱「たゆたふ小舟」「二人の擲弾兵」(東末吉)、四、バイオリン独奏(熊澤良雄)、五、ソプラノ独唱「印度の歌」「古里の道」(レーク夫人)、六、混声合唱「独楽遊び」「雲雀」(札幌混声合唱団)となっている。
 明治期から活躍するレーク夫人、藤高女の村井真砂子といった人びと、そして興隆を迎える鈴木清太郎率いる札幌混声合唱団である。そして小川隆子横尾雪子田上義也朝山綾子といった新しい担い手が年ごとに主役になってゆく。
 建国祭音楽会は、一時期は邦楽の方が人気を呼び、藤沢鈴昭を中心とした三曲界(筝・三絃・尺八)の発達に大きく寄与したという(杉山正次 豊平館と音楽と私)。尺八の藤沢鈴昭は、昭和六年二月十五日の建国音楽祭に邦楽プログラムが登場するとき以来、出演する(北タイ)。藤沢鈴昭は楽器・楽譜を商う十字屋商店を開き、北大鈴韻会(れいいんかい)や、戦時下の十八年七月十日には札幌三曲協会を設立しその初代会長となった(札幌の邦楽 さっぽろ文庫72)。昭和十二年(第八回)建国記念音楽祭では、邦楽では藤沢鈴昭が、洋楽では札幌音楽協会が音楽功労者として表彰されている(北タイ 昭12・2・9)。
 昭和十一年(第七回)建国祭音楽会の二月十一日、邦楽プログラム(北タイ 昭11・2・9)。昭和九年に畑中康山の来札を記念して作られた康淋会畑中一門による都山流尺八本曲「南海波」。旭川の平塚想嶺らによる、宮城道雄の影響を受けた新日本音楽「美しき春」。札幌の尺八専門師匠の中で唯一家元となった高橋渉童らによる「岡康砧」。筝橋本賀寿井、尺八藤澤鈴昭による山田流筝曲「嵯峨の秋」。明治四十三年以来、とくさ会を引き継ぐ杵屋六浜栄社中の長唄「吾妻八景」といった札幌の邦楽界を代表する演奏者が並ぶ(札幌の邦楽)。
 昭和戦前期、邦楽の社会的広がりについて、札幌放送局に昭和三年の開局時に勤めた山口種矯は、「音楽では特に邦楽が、今よりずっと愛好されていたので、長唄、常磐津、清元、尺八、義太夫、追分節、琵琶なんかが盛んに放送されていました」(昭和の話 さっぽろ文庫73)と、市内のお師匠さんや芸者衆に演奏を頼んでいた当時を振り返る。