一般的に神職のいる神社は境内、社殿、社務所より成り立っているが、表1には社殿、社務所の新築(改築を含む)を諸種の資料にて判明した分について記載している。最近の社殿は昭和四十年代以降に建築されたものが多く、特に近年は鉄筋コンクリート製で木造の置屋根タイプが増えていた。
諸社は地域と密接に発展し、地域住民に支えられてきただけに、近年の動向は神社創設あるいは地域開基の周年記念事業として社殿、社務所の新改築、周年記念祭の執行などが行われてきていた。屯田兵の入植とともに創設された琴似神社、新琴似神社、江南神社などは、地域開基と神社創設が同年ということもあって、開基記念事業とむすびついてなされてきている。琴似神社は四十九年の一〇〇周年記念で社務所(参集殿)を新築し、五月二十七日の鎮座百年祭は、「この日はあいにくの小雨模様。宮司をはじめ参拝者は渡り廊下に並んで、屯田兵の慰霊と鎮座百年祭がおごそかにとり行われた」と報じられている(道新 昭49・5・27夕)。
新琴似神社では四十年に八〇周年事業として社殿の造営、社務所が新築され(社殿は北海道神宮の仮御殿を移設)、四十一年五月二十一日の例大祭の翌日には、新琴似開基八〇周年記念がなされていた。また、六十年の一〇〇周年では社務所の改築が行われている(新琴似百年史 昭61)。江南神社は五十三年の九〇周年記念で社殿、六十三年の一〇〇年記念で境内整備が実施されていた(屯田百年史)。
各神社でも周年ごとの記念事業が各種行われていたが、信濃神社の場合、八〇周年で五十三年九月に社殿の造営(旧社殿は北海道開拓の村へ移築)、九〇周年で六十三年五月に祭神建御名方富命の妃神、八坂刀売命の分霊を長野県諏訪大社より合祀、『信濃神社今昔』の発刊、一〇〇周年で平成十一年九月に社務所の新築、『信濃神社百年』の発刊を行った(信濃神社百年)。
周年記念事業の中でも一〇〇周年は大きな意味をもつだけに、大規模な事業を実施しているところが多い。表1の百年記念祭の項からも大半の神社が、昭和五十年代に入り創設一〇〇年を迎えていたことがわかる。すでに上記でもふれた神社の他、三吉神社では五十二年に社殿・社務所の新築、西野神社では五十八年から社殿の増改築、玉垣の建設、百年記念塔の建立、『西野神社の百年』の発刊を行い、手稲神社は平成十一年に社務所・演舞場の新築、『手稲神社史』を発刊した。