松代案内 48 松操山典廏寺
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松操山典廏寺(しょうそうざん てんきゅうじ)
宗派 曹洞宗 本尊 釈迦牟尼仏
川中島合戦(永禄四年の戦い)で戦死した武田信玄の弟、典廏信繁を葬う。かつてこの地にあった旧瑠璃光山鶴巣寺(かくそうじ)跡に、承応三年(一六五四)、真田信之の女見樹院が、長国寺八世僦察(しゅうさつ)を開山として建立、松操山典廏寺とした。典廏信繁を尊敬する真田昌幸は、次男の名を信繁と命名。真田幸村がその人である。真田家の武家寺であり、典厩信繁の墓の横の小さな墓は、同じ名の幸村(信繁)を秘かに弔ったとする小説もある。本堂内に鶴巣寺本尊といわれる薬師如来像。川中島合戦三〇〇年の万延元年(一八六〇)、真田幸貫の発願で閻魔堂を建立。閻魔大王、三三体の観音菩薩・四天王像を祀る。明治三十九年(一九〇六)、川中島合戦三五〇年祭で、甲越弔魂の「懐古の碑」を建立。山門は真常院殿(三代藩主真田幸道)の霊屋の門を移した。川中島合戦記念館(昭和四十一年建立)もある。