柔道の真価

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          小 貫 生(注42)
本年は当校の20周年に相当するので、此の記念号に何か書て呉れとの事で御座いましたから、毎月の林友にも御無沙汰のみして居りますから、一寸(ちょっと)自分の思ふた当校の柔道部やら柔道の真価を書て見て、幸にも皆様の御参考にも成りましたならば栄に存じます。自分は大正6年の10月に当校に赴任して体操と柔道を兼務しました。来て見ますると柔道は七宮先生の御骨折で初めたばかりで、道場も講堂の一部に畳を敷て是に当てられ、柔道衣も上着ばかり7、8枚しかありませんでした。是れでどうして柔道を稽古して居るのかと、中等学校としてはあまりに貧弱なのに驚きました。其れから生徒を集めて柔道とは如何なるものかと言ふ事に付て話しました。すぐ
 
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に稽古を初めました処、唯一人しか生徒が出て来ません。其れが伊東近良君(注43)でした。君は勝負と言ふのみで一向駄目でしたし、然し仲々強かったのです。其の後々の暇を見ては柔道を説明し、成る可く多く稽古する様に務めました処2、30人出る様に成りましたが、何分設備が無いので翌年度の予算を少し多く戴(いただい)て畳の数を増し柔道衣も多くしました。其の年の5月に自分が京都武徳会へ出演する為め、伊東君をも一所につれて行きました。初めての勝負にあの伊東君も大分ドキドキして居る様に見受けましたが、幸ひにも二人共二本取て帰校したのであります。此外県下連合マーチにも出演する、学校内にても進級試合をやったりして、益々当校の柔道部は盛んになったのであります。私が来てから卒業生を4回送りましたが、其内一級2名、二級8名、三級10名、四級五級50名を出しました。道場の畳も38枚、柔道衣も上下24枚も揃へてあります。何分にも当校の生徒は実習やら歳の関係もある事か、柔道をあまり好まん様に見受けられます。此の度幸に此の記念号の一部を穢(けが)し、此の道を教へる私が足ながら、此の真価の一端を述て見やうと思ひます。
科学と体育なるものは密接な関係を有することは、智徳体を教育方針の根本として居るのに見ても明白であります。然るに現代の青年や教育家にも、実際に之を理解して居(お)らないものが多くはあるまいか。体育の目的は一言すれば総(あら)ゆるものを同化せしめ、自己を保全するにあると言うてもよい。思ふに、如何に巧妙な科学を教授しても其同化に欠点があれば却て病を醸(かも)す場合か多い。されば体育には同化の最も強きものを最として選択せなければならぬ。然るに現代の体育法が益々退歩的のものを好む為め活気に乏しく、気風一般に浮浪性に急転した事は争はれない現象である。体育の為めにする折角の運動も、同化の目的に合しなければ意義をなさない、単に動揺するに過ぎない。そして肝心の或るものを遂に忘却して仕舞う事になる。陸軍では幼年学校生徒には専ら柔道を、士官候補生には剣道を課しつゝあり、海軍では殊に柔道を盛にして居る。其他中等学校にては正課に加へた学校は実に到る処で然(しかる)べき事と思ふ。かくて大正9年に柔道家を庇護(ひご)する趣旨で柔道整復術なるものを許可された。総(す)べて武術は哲学上の真理を自得する、即ち武術の極意は禅に合すると称されて居る。平素の進退皆保全的で同化作用の弾々たる活は武士道となり、日本魂を形成するのである。此処に至って初めて科学の真価が著はれ、殊に柔道は四肢百骸(ひゃくがい:ほね、からだ)を活動させ同化作用の最も大なる良体育法で、武芸百般は言ふに及ばず、人世を有意義にせしむる基礎をなすもので、之が直接に肉体に及ぼすものを示せば、胸膜・肋膜・・神経衰弱等の諸症を治した実例が多い。唯恨(うら)むらくは之を講ぜざる者に対し、心理状態を示すことが出来ぬ事である。日本の武術は斯く同化作用の妙があり、古来神の字を流派の冠詞とし神道何々流、天神何々流、鹿島何々流と銘名し、又一心法、帰心法と称して其の根源を教授の一科の如くにして居る。然し柔道は青年に取りて欠くべ
 
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からざる必須の体育法で、いさゝかも疑問とする点はない。勿論幼年青年及体質等により多少の顧慮は何事にも必要なことで、其緩急の良否は教授者の責任であると思はれる。