箱館港への集荷政策

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 幕府は、前直轄時代にも、東蝦夷地産物の箱館集荷策を強力に推進し、更に高田屋嘉兵衛などの御用達商人を起用して、箱館港を基点とした経済政策を展開したが、こうした幕府の政策と相まって、寛政から文政4年ころまでの箱館経済は、著しい発展を示したことは、すでに前章において詳述したところである。しかし、松前藩の復領とともに、東蝦夷地産物の箱館回送は当初そのまま踏襲されはするものの、その後松前回送が、かなり増加するという現象を来していたのである。ところが安政2(1855)年東西蝦夷地をあげて幕府が直轄すると、翌3年3月箱館奉行は、場所請負人問屋小宿等の商人に対し、次のように達した。
 
 東西蝦夷地船改並びに出入荷物諸役銭其外取計らい方の義、西地は是迄の通り松前表にて取計らい、東地の分は松前住居請負人共も箱館表にて船改め、其外諸事取扱い、且御取締りのため、西地の分、場所々々に限り、出入荷物贈状相渡すべく候間、其段共相心得らるべく候。 (『御触書写』)