箱館丸
民間の航運状況は以上のようであったが、箱館奉行は、特に西洋型船舶の便利なことを知り、傭船の新造および買入れを幕府に申請し、安政3(1856)年西洋帆船を模した君沢形(豆州下田で造船したスクーネル型船)の信敬丸、順捷丸の2艘の回付を受け、また箱館においてスクーネル型箱館丸・亀田丸ならびに和洋折衷の豊治丸を造船して備え、更に文久元年には箱館に入港した米国ブリック型船(2檣横帆の洋型帆船)を購入、これを健順丸と名付けた。以上の諸船をもって奉行の乗用、航海術の練習あるいは産物の輸送等に当てた。亀田丸がニコライエフスクに航し、健順丸が上海に航海したことは、すでに外国貿易の節において述べた通りである。