さらにこれを勤務地別にみると、在住を除いた吏僚の50パーセント以上が箱館に、35パーセント強が蝦夷地に勤務しいているが、このことは、この期の箱館奉行の松前・蝦夷地支配にとって、箱館がその政治・経済的な拠点として極めて重要な役割を果たしていたことを示していると同時に、蝦夷地支配にかかわる同奉行の任務の重さをも別の角度から示しているものとみることができよう。なお、この表では、箱館奉行が3名になっているが、これは、安政3年7月28日、従来の竹内・堀に加え新たに村垣與三郎が同奉行に任じられるとともに、3名のうち箱館・江戸に各1人在勤し、他の1人は蝦夷地を巡廻するという新たな体制が成立したことによるものであり(『幕外』14-192)、同年9月20日以降3名の交代順年が決まった(『幕外』15-54)。
表序-5 安政5年箱館奉行及び同奉行配下吏僚・職別・勤務地別人数表
職(席)名 | 高、役料、役金、手当等 | 人数 | (B)の勤務地別内訳 | ||||||||
安政5年 正月 | 安政5年 12月 | ||||||||||
(A) | (B) | 東 蝦夷地 | 西 蝦夷地 | 北 蝦夷地 | 計 | ||||||
箱館奉行 | 高2,000石、役料1,500俵 | 3人 | 3(3)人 | 〈2〉人 | 人 | 人 | 人 | 〈1〉人 | 人 | 人 | |
支配組頭 | 高150俵、役料300俵、役金120両 | 3 | 3(3) | 3(1) | (2) | ||||||
同勤方 | 高150俵、役料150俵、役金120両 | 3 | 3(3) | 3(3) | |||||||
調役 | 高150俵、役扶持10人扶持、役金90両 | 6 | 6(6) | 3(3) | 1(1) | 1(1) | (1) | 2(1) | |||
調役並役 | 高100俵扶持、役扶持7人扶持、役金70両 | 13 | 21(14) | 4(5) | 5(3) | 3(1) | 5(1) | 13(5) | 2(2) | 2(2) | |
同出役 | 持高、役扶持7人扶持、役金50両 | 5 | (4) | (1) | (2) | (1) | (4) | ||||
支配勘定格調役下役元〆 | 高100俵持扶持、役扶持5人扶持、役金45両 | 4 | 4(4) | 2(2) | 1(1) | 1(1) | 2(2) | ||||
調役下役元〆 | 高80俵、役扶持5人扶持、役金45両 | 1 | 1(1) | 1(1) | |||||||
調役下役 | 高30俵3人扶持、役扶持3人扶持、役金35両 | 43 | 50(41) | 19(16) | 12(12) | 13(11) | 3 | 28(23) | 1 | 2(2) | |
同出役 | 持高、役扶持3人扶持、役金35両 | 33 | 33(32) | 16(15) | 5(5) | 3(4) | 2(1) | 10(10) | 6(6) | 1(1) | |
下役出役見習 | 5 | 5(5) | 5(4) | (1) | (1) | ||||||
下役格 | 1(1) | 1(1) | |||||||||
御礼席元〆次席 | 2 | ||||||||||
同心組頭 | 高20俵2人扶持、役金7両、勤金1ヵ月2分 | 3 | 4(4) | 3(2) | 1(1) | (1) | 1(2) | ||||
同心組頭格 | 高20俵2人扶持、役金7両、筆墨料1ヵ月銀5匁 | 7 | 4(6) | 2(3) | 2(2) | (1) | 2(3) | ||||
同心 | 高20俵2人扶持、手当6両 | 94 | 88(92) | 44(50) | 19(19) | 19(20) | 5(2) | 43(41) | 1(1) | ||
御雇同心 | 手当1ヵ月1両 | 3 | 3(3) | 3(3) | |||||||
同心見習 | 11 | 9(8) | 9(8) | ||||||||
与力 | 現米80石、仮抱10人扶持 | 6 | 7(7) | 7(7) | |||||||
足軽小頑 | 4石2斗2人扶持、筆墨料 | 6 | 6(?) | 6(?) | |||||||
足軽 | 4石2斗2人扶持 | 86 | 89(?) | 52(?) | 15(?) | 15(?) | 7(?) | 37(?) | |||
手付出役 | (出役扶持)上下席5人扶持、羽織席3人扶持、 各手当4両 | 11 | 9(9) | 9(3) | (5) | (1) | |||||
江戸御役所書物御用出役 | 以上銀10枚、上下席6両、羽織席5両、 各筆墨料1両 |   25 | 21(24) | 21(20) | (4) | ||||||
箱館御役所書物御用出役 | 2(2) | 2(2) | |||||||||
諸術調所教授役 | 1(1) | 1(1) | |||||||||
御雇 | 5 | 6(7) | 6(7) | ||||||||
御雇医師 | 8<6> | 12(12) | ? | ? | ? | ? | ? | ||||
通弁 | 4 | ||||||||||
蝦夷地在任(在住〉 | (在住)16 | 71(71) | ? | ? | ? | ? | ? | ||||
合計 | 406 | 462 (363+α) | 203+α (139+α) | 59+α (43+α) | 56+α (43+α) | 22+α (6+α) | 137+α (92+α) | 32 (38) | 5 (4) | 2 (7) |
(A)は「松前箱館雑記」11(東大史料編纂所蔵)による。但し、「同心」には「牢屋番同心」1名、「火消同心」1名を含む。また「御雇医師」の内〈6〉は8名のうち「蝦夷地御雇医師」の数。
(B)は「安政五戊午年十二月改、支配内役々井在住人名前張」モンベツ御用所(道立文書館蔵)による。但し、( )内の数字は「函府人名録」〈年月不祥なるも、安政5年頃とみられる〉による。
また、箱館奉行の安政5年の勤務地は、竹内が箱館、村垣が蝦夷地巡回、堀が江戸となっているので(『幕末外国関係文書』15-54)、とりあえず箱館〈2〉、江戸〈1〉とし、箱館、江戸の計にともにこの数を含めた。なお、(A)の「御礼席元〆次席」の2名は、仁杉?三郎・武田斐三郎、「通詞」の4名は、品川藤十郎・堀傳造・荒木卯十郎・植村直五郎(B)の「下役格」1名はともに名村五八郎、「諸術調所教授役」1名はともに武田斐三郎である。なお、安政6年4月、「調役下役」は「定役」と改称され、それに伴ない「調役下役元〆」は「定役元〆」、「詞役下役出役」は「定役出役」と改称された(箱館御役所「慶応二年・明細短冊」道立文書館蔵)。