『村差出明細帳』(安政二年)という古文書が上山村の分として残っているが、これは現在でいえば「村勢要覧」の調査項目を明細に記述したもので、残念ながら項目に対して具体的に回答した部分が残っていないため、当時の村勢を明確に把握することはできない。
しかし、調査項目は田畑、山林、秣(まぐさ)場、畑作の状況、箱館・江戸・三厩などへの道のり、川、橋の状況、町年寄や名主、町代の氏名、諸職人の人数、家数、寺院、凶年備の状況、村の面積、借米の状態、村限絵図などについて記入のうえ、奉行所へ差し出していた。各村も同様であったと思われるが、惜しいことにこれらの記録は見当らない。
『各村創立聞取書 亀田外七ケ村 明治十九年』(北大図書館蔵)―北海道庁罫紙七〇枚毛筆―は亀田市の郷土の記録としては最古のものであろう。
『村差出明細帳』のように、各村の戸数、人口、神社、寺院、学校、官庁、牛馬、人力車、馬車、水車などの項目から気象状況、風土病、職業、貧富の家屋、飲水、産物、村落状況、駅路、衢(ちまた)、川、山、旧城、起原より沿革などの聞取書を各村の惣代が戸長役場に提出したものであって、畑の起原および沿革も詳細に記され、また明治十三年中の植付反別および収穫状況も数字をあげて説明し、農村の状態を各村ごとに報告したものである。これは比較的まとまった郷土史料となっているが、口碑などの聞取りのため正確さを欠く点が見受けられる。
『渡島国状況報文 亀田村外六村』(北大図書館蔵)―北海道庁罫紙二八枚毛筆―は明治三十九年に道庁に提出したものであるが、地理、沿革、戸口、農業、牧畜、林業、工業、商業、町村経済、教育、衛生、社寺、風俗人情の項目についての記録であって、前記「各村創立聞取書」に比較して要約されている。
亀田市役所には、明治末年から大正初年にかけて編集された『亀田村郷土誌』が保管されている。表紙の左側に「亀田村教育会編纂」と記され、謄写印刷(西洋紙六〇枚)したもので、内容は前記の資料を参考にして、郷土史としての体裁を整えるようになった。内容は次のとおりである。
第一章 自然界
第一節 地理 疆(きょう)土地勢 面積
第二節 気象 気温 風 降雨 雪 降霜 霧
第三節 動物・植物・鉱物
第二章 人文界
第一節 制度 沿革
第二節 戸口 戸数人口 職業別 婚姻 出生及死亡 選挙 赤十字社 愛国婦人会 有位帯勲者 功労者
第三節 兵事 徴兵 兵員 在郷軍人会
第四節 警備・衛生 警察 消防 犯罪 医師 産婆 薬剤師 隔離病舎 傳染病 種痘
第五節 産業 生業農業 山林 製造業 物品販売業 運送業 精米業
第六節 風俗習慣 現況 家屋 言語 衣服 儀礼 歌謡
第七節 教化褒賞 現況 小学校 実業補習学校 教員 学齢児童 教育会 教員研究会 学務委員 青年会 神社 寺院
第八節 運輸交通 鉄道 道路 橋梁 通信 車橇 里程
第九節 経済 貯金 金融機関 納税成績 村有財産 公経済
第三章 特殊の事項
第一節 本村に関する区町村 函館区 湯川村 七飯村 上磯村
附録 函館案内
以上について亀田村教育会において編さんした郷土誌を基として、村役場ではその内容に一部修正を加え、更に村内の小学校、神社、寺院、赤川水道沈澱池、国道、煉瓦工場などの写真二〇枚を掲げて体裁を整備した。従って市役所には大同小異の郷土誌が二冊保管され、公的な「亀田村史」として公開されていた。
大正初年、函館支庁において管内の町村誌作成の計画がすすめられ、渡島教育会編さんによって各町村誌がまとめられた。『函館支庁管内町村誌 其四』(道行政資料課蔵)の中に「第十三章亀田村」(四八枚毛筆 写真二〇枚 地図一枚)が載っている。用紙には渡島教育会の名が印刷されている。内容は前記の「亀田村郷土誌」とほとんど同一であるが、
第十三章 亀田村
第一節 位置 第二節 地勢 第三節 沿革 第四節 戸口 第五節 教化 第六節 産業 第七節 運輸交通 第八節 経済 第九節 風俗習慣
右のように章節に修正が行われている。支庁に提出するため毛筆で清書したものと思う。
その後大正年代は毎年のように村から支庁に提出した『事務報告書』にも郷土誌的な一面を有していたが、それはあくまでも画一的であり形式的なものであった。
昭和二十五年、亀田中学校において『亀田村の歴史』(蛯子芳信教諭担当、謄写印刷九三ページ)を編集し、生徒の郷土史学習のための参考資料にした。内容は、
一 石器時代の亀田村 二 和人の渡来 三 亀田村のはじめ 四 松前氏の独立 五 亀田郷のうつりかわり 六 松前藩の頃 七 幕府が直接治めた頃 八 函館の開港 九 桔梗村の建設 ○ 年表
という項目から成り、学校の図書室に五〇冊用意した。
蛯子教諭は『神山村誌』(神山部落会発行 昭和二十七年)も編集し、その後亀田村教育研究会の社会科サークルにおいて亀田村史発行の計画(三十五年ころ)がすすめられた時も、中心的な役割を務めてその推進に当った。しかし、予算などの問題から中止したのは、まことに惜しいことであった。
昭和三十三年、『桔梗沿革誌』(桔梗開基百年記念協賛会編集 B6三六ぺージ二段組写真多数)が発行された。
第一章桔梗村開拓の由来 第二章桔梗村の産業 第三章補遺から成り、開基百年を記念して編さんしたものである。
四十五年、『郷土資料かめだ』を亀田町教育研究所の社会科サークルが、町教育委員会の要請によって編集発行することになった。A5七三ページ、図版、写真を豊富に取り入れ郷土に関する学習の参考資料とした。主として教師の学習指導に役立てることを考えたが、一般住民や中学校の上学年用にも活用することになった。項目は次のとおりである。
一 地域社会の学習の意義と方法
二 望ましい地域社会の学習と郷土資料
三 自然 位置 土地 天候
四 人口 人口のうつりかわり 人口動態など
五 産業 農業 工業 林業 農業協同組合など
六 交通 五稜郭駅 トラック輸送 交通事故など
七 公共施設のはたらき 消防 社会福祉 保健衛生 公民館 学校
○ 役場の働きと町議会
○ 歴代村長および議長
○ 亀田町の歴史 旧石器時代 新石器時代 歴史時代
○ 歴史年表
○ これからの亀田町
右の資料によって、各小中学校における教師が、子どもの学習指導上貴重な参考書を得たが、更に児童用の副読本の編集について、町教育委員からの奨励もあり、再び前記社会科サークルにおいて研究を続け、四十八年三月、『わたしたちの亀田』(B6一一二ページ、図版写真多数、小学校三年生用)を発行することになった。教育委員会では市内各小学校三年生全児童に無料配布して、郷土学習の参考にすることになった。内容は次のとおりである。
一 わたしたちの亀田市
まちのようす 亀田市の気候
二 亀田市の人びとのしごと
農ぎょう しょうぎょう こうぎょう
三 亀田市の交通通信
交通のようす 品物のゆそう 道路のようす ふえつづける交通事故 電話とゆうびん
四 くらしをよくする市に
市役所のしごと 市で使うお金 市のしごとをきめる人たち 火事をふせぐ
五 亀田市のうつりかわり
亀田市の大むかし 和人がやってきたころ 江戸時代のころ 明治のころ 昭和になってから
○ 学習のおわりに
○ 亀田市のあゆみ(年表)
三年生全部に無料配布という予算措置によって、郷土についての学習がすすめられた。
以上のとおり亀田における郷土史的な資料は一般的なもので、詳細な記述のものは発行されていなかった。