『昭和九年 尻岸内村勢要覧 北海道亀田郡尻岸内村役場』より
[沿革の大要] −省略−
[地勢及び彊域] −省略−
[土 地] 合計八七、〇九九反
(内訳)田〇・畑四、一一八・宅地二八一・山林七五、五一六(*一反=三〇〇坪)・
原野二、六八九・牧場四、一四四・雑種地三四九・その他一一
[戸 口] 戸数一、〇七五戸・人口六、六六八人(男三、四三三・女三、二三六)
[教 育] 学校数四校・児童数一、二七五人(男六六〇・女六一五)教員数二四人
(内訳)本科正教員男一二人・尋常科正教員男四人・尋常科准教員男一人・
代用教員男一人女六人・主事数四名・指導員一一名
[衛 生] 医事 村医(不在)
開業医二人・産婆(免許取得者)三人
衛生組合 一組合(経費総額三九八円)
伝染病 発生二三(内死亡四)
ヂフテリア一七(全治一六、死亡一)
腸チフス六(全治三、死亡三)
[宗 教] 神社 郷社一(八幡神社)
無格社三(稲荷・海積・厳島神社)
寺院 曹洞宗二(高岸寺・高聖寺)
浄土宗一(豊国寺)・説教所二
[村吏員] 有給吏員 村長一人・収入役一人・書記四人・書記補三人・臨時雇一人 計一〇人
無給吏員 区長八人・区長代理六人・常設委員八人 計二二人 合計 三二人
[名誉職] 村会議員一八人・学務委員一〇人
[選挙権] 衆議院議員一、二三二人・北海道会議員一、二一七人
村会議員一、二三二人
[官公署・団体]
村役場一・郵便局二・巡査駐在所二・森林事務所員駐在所一・信用購買組合一・漁業組合四・
農事実行組合三・教育会一・青年団四・女子青年団四・森林防火組合二・青年訓練所四・
火防衛生婦人会二・出稼労務者保護組合一・在郷軍人分会二
[篤志団体] 赤十字社一二六人(特別社員四・終身社員四二・正社員八〇)
愛国婦人会三六一人(有功章三・特別会員二七・通常会員三三一)
[有位帯勲] 有位者一人・帯勲者三九人
[農 業] 生産価格 三六、七二八円
[水 産] 生産価格 一、〇三五、三六九円
漁船数 無動力船 九三八隻(五〇石未満八九八隻・五〇石以上一〇〇石未満四〇隻)
動力船 三五隻(五トン未満二二隻・五トン以上一〇トン未満一三隻)
[畜 産] 生産価格 一二、七〇二円
[林 業] 生産価格 一三、四三二円
用 材(一三四石)二四一円
薪炭材(九五二棚)五、五九一円
木 炭(三七、二六〇貫)七、四五二円
栗の実(六石)一八〇円
椎 茸(四五斤)六八円 合計一三、四三二円
[村財政] 昭和九年度分予算(表参照)
[基本財産] 昭和八年度分の基本財産価格にして八〇、一四〇円
土地(一二六反)八、四八八円
山林(四、四六八反)八、九三六円
有価証券(八三)八三〇円
建物(一、〇二一坪)二五、九三七円
預金 一八、九四九円
支消金 一七、〇〇〇円
合計 八〇、一四〇円
(一戸当七四円五五銭、一人当一二円二銭)
[納税成績] (納税率)
国税九〇・六二% 地方税九〇・二七%
村税七四・九九%
[表]
以上、昭和9年の尻岸内村勢要覧について、一部を省略し統計的内容などは、ほぼ全文を記載したが、紙幅が限られたこの要覧のなかで「恵山」については、2枚の写真と相当の字数を割いている。原木・日浦・豊浦間のトンネルの開削、道路も開通し、函館等からの観光客を呼び込もうとの意図があることはいうまでもない。いわゆる観光宣伝文である。
現在の恵山観光について参考になる点も多々あると思われるので、以下、その[恵山]の全文を記載することとする。
[恵山]
湯の川より道南下海岸を自動車に乗り、津軽海峡の風光を右に見て東に行くこと、二時間にして尻岸内村日浦の海岸に至る。白波岸を噛み、新緑頂を蔽(おお)う断崖絶壁の下に、十数の「トンネル」、海波の浸食を受けたる奇岩の突角を穿(うがち)て走るあたり、真に天下の壮観なり。断崖の海に迫る所、安山岩の柱状節理露出多く好個の天然記念物たり。此処を越えて尻岸内に入れば左方小高き杜に、鎮座の郷社八幡宮は下海岸一帯漁民の崇敬厚し。女那川、古武井等の沖積層の海浜には此処彼処と砂丘連りて「はまなす」「ぼうふう」等、青々と繁り、此のあたり鰛、昆布の産額多し。
字恵山市街に出ずれば、恵山の全容は眼前に展開し、未だ生々しき溶岩丘が乱刃を受けたる赤き兜を伏せたるに似て、峭料たる老骨を裸出し、其の左前面の山の陰より白き幾条かの煙を噴き鐘状火山の全面目を現す。小学校の下より段丘の上に登れば、坦々たる草原遠く連なり、今はただ土産馬の放牧に任せおるのみなるも、青波渺茫(びょうぼう)遥に下北半島の山々を望み、雄渾なる風景は本道稀に見る温和の気候と共に、将来此の段丘をして保養別荘の地帯たらしむべし。段丘の盡る処より道は九折して登り、躑躅(つつじ)咲く五六月の頃には、山麓より頂にかけ新緑滴る中に猖血色の花満山を蔽う、恵山市街より約二十分にして躑躅(つつじ)ケ丘温泉に至り、それより登ること三十分にして恵山温泉の浴舎に着く、湯は何れも硫酸塩類泉にして、草津温泉と同質なりとて効験著し、従来交通不便なりし為世上に知られざりしが、近時、自動車の通ずるに至りて、より登山遊覧団体踵を接するに至れり。
温泉の付近は一大火口底とも見え坦々たる原野にして、其の北西側は半円形の連山に囲まれ、温泉の東正面には恵山の奇峯岩骨を露出し、前面の爆裂火口壁よりは盛に熱気を噴出して濃黄色の硫黄を沈殿し、鐘状火山の常として何処にも中央火口なく、火山灰や火山礫の降りたる形跡もなし。浴舎の裏手、賽の河原の中に高田屋嘉兵衛舩中の海上安全祈願の碑あり、之より山頂に登る道は茫々岩塊の間を九折蛇行して登り、所々に小さき噴気孔ありて時折硫気を運び来る、頂上に近づくに連れて傾斜は却って緩慢となり恰も大釜の底を歩むが如し、視界は刻々に広く、頂上には祠あり、石室に囲まれ祠の下には遠く連る緑の段丘に、恵山岬の灯台が夢の如く白亜の姿を現し、遥か彼方の樽前、有珠の山々は霞みて蝦夷富士の姿も見え、更に眼を転ずれば魚付け日浦の岬々は脚下に展開し、津軽海峡を行く船の彼方に下北半島の山の色さえ鮮やかに見え、風光の明眉なる其の男性的雄大なる眺望は都人士の精神的憂患を一掃するに足るべし。恵山及び付近の山々は「がんこうらん」「ひめしゃくなげ」「いそつつじ」「こけもも」等の濃緑に蔽われ、高山植物百有余種に上り花の頃には頗る美観なり。
山を下りて根田内街道を東に七ツ岩の奇勝を過ぎ、磯谷温泉に至れば剛放峻厳なる恵山の突角は打寄する太平洋の千波万波を圧し、巌頭に巣食う鴎の群れが激浪を見守るあたり真に壮快極りなし。温泉は風光佳絶の海浜に湯の滝となりて流れ、此の辺一帯古代温泉の遺跡たる石灰華の断崖多し。近海には寒暖流の魚族に富み烏賊の収獲多く、夏より秋の夜、烏賊釣る舟の灯影波に揺れ、涯しなき宵闇の海上に流れ、明滅不知火の如し。
戸口
教育
農業
水産
畜産
村財政
尻岸内村勢要覧
恵山スキー場
郷社八幡神社
霊山恵山山頂
恵山遠望
[図]