村落の道路の建設・補修については、戸籍編成法(明治6年9月)により尻岸内に戸長制度が施行(戸井・小安も同時)されて以降、開拓使・いわゆる官からの指導があり、また、その費用の一部も負担するという制度がとられるようになってきた。
『開拓使事業報告・第二編』には、その法施行後、初の道路行政の記録が記されている。
「明治八年三月、尻岸内、椴法華両村、人民醵金ヲ以テ両村間三里二十三町三十間ノ山道ヲ修理ス」
この工事の、〈費用〉は全額尻岸内・椴法華村民の寄付金であり、〈工事〉は尻岸内村支古武井より65人・椴法華村より同65人、計130人が従事した。〈工事区間〉は恵山町字日ノ浜町・椴法華村字元村間の山道14,345メートルが、旧道の修理も含めて開削された。なお、この工事の状況から、いわゆる官の指導のもとに実施されたと推察する。費用は寄付の形を取ったが、人夫は賦役と考えられる。
又、開拓使の文書『明治八年民事課往復』(294号 民事課 戸井出張所)には、以下、開通した尻岸内・椴法華間新道を祝うと共に、新たな道路開削計画についても述べられている。
「先般尻岸内支古武井ヨリ椴法華へ之新道修繕落成に相成候処、客月廿四日付番外を以上申候所、右古武井ヨリ根田内へ懸リ恵山越本道へ八里程杭も取建ニ相成居新道之義本道へ比較乃至壱里余も道法近く相見候へとも右里程之義ハ其掛ニ於テ實地に臨ミ測量之上確定相成候様致度候間此段可然御取計有之度候也」
文書には、尻岸内から椴法華へは1里余(4キロメートル)もの近道であるとして、別ルートの恵山越えの山道開削の計画をあげている。これは松浦武四郎の辿った道−追分より磯谷村へ下る道(蝦夷日誌 巻之五・第5節の(2)参照)を想定したものと思われる。
『開拓使事業報告・第三編』には、明治13年頃の道路開削(尾札部・椴法華間)・交通状況についてに報告しているので、郷土近村の状況について記すこととする。
「明治十三年五月、函館街衢(く)改定規則ヲ廃ス。是歳札幌本道及椴法華・尾札部間ヲ改修ス。以下ニ管下道路嶮夷ノ概ヲ摘録ス。
−戸井村ヨリ尻岸内二里十四町餘(九・四キロメートル)内二里(七・九キロメートル)山道甚嶮ヲナス。尻岸内村ヨリ椴法華村ニ至ル四里(一五・七キロメートル)弱山道稍嶮難。椴法華村ヨリ古部、木直ノ小村落ヲ経テ尾札部村ニ至ル五里(一九・六キロメートル)弱、□巌崎嶇僅ニ獣蹄ヲ通スノミ行旅多ク、海路ヲ取ル其海里六里(二三・六キロメートル)餘。明治十三年修路後、陸行亦多ク尾札部村ヨリ臼尻村ニ至ル二里(七・九キロメートル)餘海汀ニ循フ。十一年修理、尾札部ヨリ椴法華マデ、延長百七十八町三十間(一九・五キロメートル)、起業十一月、経費四百六十五円七十六銭一厘(内、官の負担 二百五十六円四銭一厘、住民負担二百九円七十二銭)」
この11年修理とある尾札部・椴法華間の道路について、椴法華村史には「改修工事が完成したのは明治13年5月であり、現在の椴法華・古部の山道の基になったものである。(但し、この道は現在ほとんど使用されていない)」と述べている。
だが、これらの新道開削・改修以降の、下海岸・とりわけ尻岸内近村の道路整備についてはなかなか進まず、郷土の村勢は発展しつつも、陸上交通は江戸時代と変わらず、人々は困難を強いられていたものと推察する。
「亀田郡沿海各村巡記・森田弘寄稿」(明治21年1月25日・2月4日付『函館新聞』)にその様子が詳細に描かれている。以下に、抜粋し記す。
▼函館より戸井村迄は、先づ平坦の道路にして歩行も容易なれば、魚類買入の為め、五十集屋(いさばや)は日々函館より本村迄は往復す、是より尻岸内村に達する街路 は中々骨の折れる急坂二ケ所を通過するの嶮あり、人馬共に通行容易ならじ。
尻岸内村は当海岸中屈指の大村落にして地籍も従って曠濶なり。本村は函館元標を隔る九里十一町、戸数三百十七戸・人口千七百六十四人にして、支村は三ケ所あり、職は海陸(漁農)兼業なり。昨年中、本支村にて収獲せる鰛(イワシ)は千二百石余、鮫は二千本以上にして、一本平均代価二円五十銭づつなれば巨額の収入あれども、当村に益するところ少なし、鮫漁者は夏中佐渡より函館へ烏賊釣りに来れり漁業者にして、帰路鮫釣りの為め当村に転ず漁船五十艘人員三百人、一時は大繁盛を極めたり、多人数入込たる事なれば借家払底して四畳敷位の雑庫寝板(ざこねいた)のある処は収納中五円、土間の分は三円なり、家賃の高値に驚かざるを得ず。
是より椴法華村に達する道路は中々急嶮にして四里の行程(みちのり)あり、其中間、恵山噴火口下流に温泉あり、験温百三十度(華氏温度)たり、其噴火跡より流失する硫黄を目撃する処にて、およそ三尺の層たり、此恵山の噴火せるに該地方の口牌に伝うる処によれば、概四百年の星霜(としつき)を経たるなるべし。古武井辺にあっては噴灰の上層目、今は六寸有余の黒土を生ぜりと雖ども概して耕地に適せずと云う。