明治五年

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・一月二十九日 戸籍法を実施。戸籍を皇族・華族・士族・平民と区別し、(この時卒の身分を廃す。)一月二十九日現在の人口調査を実施
 この時作られた戸籍簿はこの年の干支(えと)が『壬申(じんしん)』であったため、普通『壬申戸籍(じんしんこせき)』と称せられ、宗門人別帳が明治四年にすでに廃止されているにもかかわらず、宗門人別帳の様式とよく似ていたものであった。(キリシタンでないことを寺が証明する部分は廃止されている。)またこの戸籍簿は、アイヌの人々のことを北海道旧土人、新たに戸籍に編入された人々のことを『新平民』と記したりしたところもあり、本当の意味での四民平等ではなかった。
・二月 函館出張開拓使庁管下に郡出張所を置く。この時椴法華村は尾札部村の支郷として開拓使砂原出張所(五年二月設置)の管轄下とされ、その後明治六年一月二十日連絡上その他種々の不都合であることから、戸井出張所管轄下に変更される。なお砂原出張所は明治八年三月七日まで設置されている。
・三月二日 汽船東京号、函館~札幌間新道建設関係者五百人及び資材、米塩等を乗せ航行中、尻岸内で座礁、その後三月四日・五日の激浪のため船体が破壊される。
・三月十九日 亀田村字一本木より(現函館市若松町電停付近)函館・札幌間新道工事を開始する。
・三月 鰊漁夫の雇賃(三月から六月まで)
    上~六十円→四十円
    中~三十円→二十七円
    下~二十円以下
 この頃下海岸より鰊漁場へ出稼に行く者あり。
・四月二十四日 日曜日休日制を定める。
・四月二十五日 僧侶の肉食・妻帯・蓄髪を許可する。
・五月 五稜郭庁舎をとり壊わす。
・七月二日 函館出張開拓使庁、管内各村で家屋用材や薪炭及び売木を無許可で伐採すること等を厳禁する。(『新北海道史』九巻)
 江戸時代末からの乱伐により函館周辺から良木が姿を消しはじめており、ためにこの処置がとられたものである。しかし従来村の共同所有地から薪用の木材その他漁業用の枝木などの伐採は、黙認されていたものをこの法令で禁止したことは、庶民の生活を圧迫するものであった。
・七月十日 函館・札幌間新道工事の内、函館・森間が竣工する。
・七月二十三日 函館の福士成豊(開拓使役人)日本最初の気象観測を始める。
・七月 開拓使海関所内に『函館郵便役所』が開設される。
・八月 学制が公布され以後、学事の奨励が強く叫ばれるようになる。
・九月十二日 新橋(東京)→横浜間にはじめて鉄道が開通。
・九月十四日 函館出張所開拓使庁を改め開拓使函館支庁とし、札幌に開拓本庁を置く。
・十月 函館の商人鍋屋某、根田内村民と恵山硫黄を採掘する。
・十月 開拓使函館支庁戸井出張所を開設し、この時小安村・戸井村・尻岸内村を管轄下に置く。(明治六年一月二十日より椴法華村も戸井出張所管轄下に属する)
 この年、福沢諭吉『学問のすすめ』を出版する。