・頭取は、各村に一名で小頭・百姓代の長として箱館奉行所の命令に従って、諸検査・書類整備・確認・布達の継送・役銭徴収・上納・村民の利害に対する申告・願伺等の公務を取扱い、一村の行政を掌さどっていた。
・小頭・百姓代は頭取の指揮を受け、これを補佐する役目を担なっていた。また前にも記したように、支村には小頭がいたが、これは本村の頭取の指示によって支村を治める役目を持っており、村民に布達などの伝達をする、諸検査の下調べをするなどの職務を行っていた。
次に村役人の仕事内容のうちから主なるものを取り上げ具体的に記してみることにする。
・村内布達のこと
奉行所から発せられた布達は、当時村並であった六箇場所においては、まず各村の頭取に下渡しされ、頭取から村民に掲示し又は必要に応じては、役宅(普通は頭取の自宅)において朗読伝達されていた。
また頭取のいない支村では、本村の取頭の指示により小頭が村民に布達の伝達を行ったが、特に重要な布達などの場合は、本村の取頭が直接布達を行うこともあった。
布達を村民に示達したあとは、直ちに示達が完了した旨を奉行所へ報告し、他村へ継送りが必要な書面は、直ちに頭取・小頭の責任で継送りの手配がとられていた。
・宗門改めのこと
宗門改めは村役人の重要な仕事の一つであり、『文政五年四月、箱館申送書並箱館町役人其外在々被レ下品物書付控、沖之口規定書・全』によれば、「一、市中村々六ケ場所宗旨改ノ儀ハ、年々十月相改メ宗旨人別帳為二差出一来候」とあり、また『維新前町村制度考』には、「亀田・茅部・上磯各郡ハ函館役所ヘ人別帳ヲ出スヲ例トス、故ニ村役人ハ十月頃ヨリ村内ノ宗門人別調ニ從事、調帳ヲ作リ箱館ノ且那寺ニ至リ寺受証ヲ乞ヒ、調書ヲ添テ差出スナリ」と記されている。
・旅人改・船改のこと
旅人改というのは、この時代の百姓(漁民も百姓とよぶ)は、自分の出生した土地から自由に離れることは許されておらず、他の土地に稼働きに行く場合は、旅人(その村に本籍のない寄留人)として宗門改の証明を持参して行った。この旅人を検査するのが旅人改である。
船改というのは、船の大小・型・使用目的を調査し、これに課税するのが目的であり、両方とも箱館奉行所在方掛の指示を受け、この下調べや検査をすることが村役人の重要な職務であった。
なお旅人改や船改は村役人が調べるだけでなく、直接箱館の役所から係りが派遣されて検査も行われていた。
例えば次のような旅人改、船改に出発した係りに関する先触が残されている。
天保九戌正月吉日
御用書留 鍛冶邑名主所
一 覚
平井重左衛門 上下二人
馬 弐疋
熊谷類太
馬 弐疋
大工棟梁市左衛門、鍛冶頭六右衛門、旅人宿嘉兵衛
右ハ在々六ヵ場所船改並旅人改として、明後廿五日箱館出立いたし候条、書面の馬無二遅滞一差出、且止宿、賄等差支無レ之様取斗可被申候。 以上
戌九月廿三日 熊谷類太
在々六ヵ場所
名主
中
頭取
・拝借米について
拝借米というのは、移入米の少なくなる冬期間、弱小農漁民は生活に難儀するため、これを救済する目的で奉行所に依って実施された制度である。米を村に貸付け後に代金で徴収するわけであるが、この業務もまた頭取・小頭の大切な仕事であった。
『文政五午年四月箱館申送書並箱館町役人其外在々被レ下品物書付控・沖之口規定書・全』によれば次のように記されている。
一 箱館市中並六ヵ場所村々ヨリ、冬分夫食米拝借相願候ヘバ、糺ノ上代金上納ノ期月ヲ定メ貸シ渡シ来候。
・御貸付金について
天保九戌正月吉日
御用書留 鍛冶邑名主所
廻状
一 去十二月御貸付金上納方期月ニ相および候間、元金並御冥加金共相添、当月廿九日迄ニ早々上納可レ致様厳敷被二仰出一候間、無二相違一上納の上、猶又御貸付金ニ相成候間、願のもの有レ之候ハバ罷出願出可レ申候。此段以二廻状一申達候間、早々順達可レ被レ致候。以上
戌六月廿四日
御貸付金掛
鍛冶村・下湯川村夫より石崎村・小安村・椴法花村迄
名主頭取
右村々場処 中
年寄小頭
一 御融通として市中在々六ヵ場所え別段御金五千兩此度御貸付被二仰出一候に付、拝借相願申度族有レ之候ハ、早々願出可レ申候。尤月々御冥加上納、五ヵ年目皆済の上、御元金被レ下候御仕法の御金ニ有之候間、御目当無レ之候ては拝借不レ被二仰付一候。右の段心得ニて拝借相願可レ申候。以上
戌十二月十六日
在方掛