後幕領時代、
椴法華と本州との海運はどのような様子であったろうか、毎年時期になれば現在の元村〓中村宅前浜に本州から一度
箱館へ入港し、許可を受けた
北前船が来航していた。
箱館へ入港するのは積荷の検査を受け税を払うためと、積荷の大部分を
箱館の商人へ届けるためであった。その後、本州から積んできた積荷の一部である米・酒・味噌・塩・その他、日用雑貨品を積んで
椴法華に入港し、それらの貨物を販売又は海産物と交換した。帰路は
椴法華から商人の依頼による荷物(海産物・
昆布・鱈等)を積み込み、検査を受けるため
箱館を経由するか、又は村役人の検査を受け
問屋へ届け出た後直接、本州諸港へ出航する方法がとられていた。
この当時、
椴法華村から本州へ
新鱈直送を願出た書面に次のようなものが見られる。
元治二丑年正月諸書付 (函館図書館蔵)
沖之口様御手船
乍恐以書付奉申上候
一、龍神丸
酒井左衛門尉様御手船
九人乗
陣屋彦次郎
右之船
椴法華村おゐて
新鱈積入此節手仕舞ニ相成候 態飛脚ヲ以テ申参候間何卒、御役人様御改被仰付被下置度乍恐此段以書付奉願上候以上、
丑正月八日
浜田屋兵右衛門 印
沖之口御番所様
前書之通相糺候処相違無御座候間奥印仕候以上
問屋取締役見習
蛯子 友輔印
高田屋手船辰悦丸