箱館在の掟(おきて)

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 松前福山諸掟のなかの亀田箱館奉行「定」書きによれば、元禄四辛未年(一六九一)から享保一四己酉年(一七二九)前後の下在と六箇場所の漁業の稼ぎ方出入りのきまりは次のように厳しい実状であった。
 この定は、知内、木古内より汐首までの下在(しもざい)の村名主の役目(職務)を定めたものである。
 1 盗買(ぬすみがい)の船の動静を見聞したときは松前へ通報することを名主等への申付(もうしつけ)の筆頭に据えている。下在ならびに蝦夷地での密(ひそ)かな産物の売買を厳しく取締ることが、松前藩の財政と経済秩序を確かにするために必要な制度化であったばかりでなく、蝦夷地いわゆるアイヌ社会との不必要な紛争を惹き起こさないための最も配慮すべき問題であった。
 2 住民の訴訟問題がおきて、名主の裁量で判断しかねるときは、松前・町奉行所に申し出ること。また、村方で村払いとして追放された者について名主は、直ちに奉行所に知らせること。
 3 住民や旅人の切支丹宗門改(しゆうもんあらた)めは、名主五人組の大きな役目であることを心得ておくこと。
 4 賭(か)けごとは一切堅く禁じられた。また、盗賊・悪党が出たときは急ぎ奉行所に知らせること。
 5 遭難船があったときは船の諸道具を紛失しないように配慮すること。ならびに船方乗組みの者を救助して衣食など与えたときは、その給与の内容を松前に申し出ること。
 6 他国の船が昆布場へ来たときは、その船を留めておいて奉行所へ知らせること。
 7 亀田村から知内村の間のもので釘合船を所有しているものは、町奉行の改めをうけること。堅牢な大型の船の所有は、蝦夷地への盗み買いや、海峡を渡って他国との出入が可能なので、とりわけその実態の把握を明確にしていたものであろう。
 他国へ商売に往来するときは、沖口奉行の切手(手形)を受けて出立し、帰ったときはこの切手を沖口奉行に返納すること。
 8 ユウラップ(八雲)、オシャマンベからは、許可なく産物などを海路も陸路も荷送りすることはできなかった。
 許可なく海陸運送する者は停止させるように、旅の商人共に知らせおくこと。もし、これに違反する者は早急に奉行所・番所に知らせること。
 9 村の住民、旅の者のすべてについて、奉行や名主の言いつけに従わず、無断で行動する者は村払い(村から追放すること)を命ずること。また、生国や住所がわからぬ者、職業のない者、そのほか疑わしい者はくわしく尋ね、聞きただしてその旨を町奉行所へ知らせること。
10 亀田村の諸役(税)は遅滞することのないように名主に申しつけている。しかし、新しく世帯をもった者は、五年の間、諸役(税)が免除されていた。
11名主が支配する村々の百姓は、一人も他村へ移動してはいけない。また、すべての家の跡目相続を、断(ことわ)りなく絶えさせてはいけないという定は、蝦夷地(北海道)における和人地での村々の戸口を維持するための厳命であったとみられる。
12 定められた昆布採り開始以前に、拾い昆布などをふくめ新昆布の売買を堅く禁じている。
 この項に五年の間、捨ててかえりみない畑地があったときは、これを新世帯の者に耕作させることをすすめている。また、畑作のためその地へ行かせた者については、その地で越年するようかならず申し付けることと名主に命じている。蝦夷地での越年は、厳しい制限(条件)が定められていたことから考えて、漁業などの時期(季節)に、その他に大勢でかけるためにも、現地では野菜などの供給は、蝦夷地では大きな課題であったことのあかしであろう。
13 住家などの造作や衣服、飲食のすべてにわたって倹約を守るように名主から百姓共によくよく周知することを申しつけている。蝦夷地の産物だけで、和人の衣食住の生活を充足できない実状を、すべての治世の重要な指針としていたことのあらわれである。
14 親類縁者を頼って他国から蝦夷地に渡ってくる者、また村人で親類を訪ねて他国へ出かけるときは、松前の役所に寄らせること。なお、その旅の事情はくわしく聞きただしておくことなど、蝦夷地への出入りの厳しさを随所にうかがうことができる。
15 毎年一二月には、この地で正月を迎える商人や、年季奉公人、金掘人その他の旅人の別改めをすることを義務づけている。
 ここに亀田・知内の村々へ船が来航したときは、それがどこから来た船であろうとも、役(税)として帆一反につき五〇銭ずつ納めさせること。もし遭難船であることが明らかなときは、早々に自国に帰航するよう申しわたすことと定めている。

新井田家(寄合・準寄合)(1)


新井田家(寄合・準寄合)(2)
○特に知貞系新井田家「御過去帳下調」による。(永田富智 提供)