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地蔵かつぎ じぞうかつぎ
 昔全国で、「地蔵かつぎ」とよばれる風習があった。婚礼の夜、村の若者が地蔵さんを、その家にかつぎこみ、お礼として接待を受ける。家人は後で、その地蔵さんを元あった所に返すが、接待が気に入らないとお地蔵さんのあった所を教えてもらえないので、返す所が判らないため山に持って行くことになるという。
 
標 柱 しめばしら
 標柱神社で見られる石鳥居のように石柱を2本建てて、しめ縄を張る。これを1基と計算する。柱には宣揚文などを刻む。注連柱、七五三柱とも記す。
 広島県では多くみられるが、山口県、岡山県では数が少なくなる。
 最古の紀年銘 住吉神社 広島県尾道市 文政三年(1820)
 
 種 子 しゅじ
  密教において諸尊を表す梵字。(主要な種子 参照のこと)
 
浄福寺 じょうふくじ
 安芸津町所在。中国薬師札所第二十番札所。瑠璃山浄福寺 本尊は薬師如来。
 本寺の石垣は時代色が明確で文化財(市重文)に指定されている。
 
白 市 しらいち
 白市の町名の由来は白山に因なみ、養国寺の門前町として始まった。
 文亀四年(1504)平賀弘保が高屋堀・御薗宇城から移り白山城を築城し白市を城下町とした。平賀氏は関ヶ原の戦まで約200年にわたってここを本拠地とした。御土居・御屋敷・的場などの地名が残る。
 江戸時代には牛馬市が開かれ現在の三原市久井町、三次市十日市と並んで三大牛馬市の一つとして栄えた。
 また芝居小屋も前記の久井、十日市とともに興業を広島藩に許可された。
 白市は江戸から昭和にかけて牛馬市、露天商、神明祭、競馬、サーカス、回り舞台に花道のあった二階建ての長栄座があり、近隣では一大歓楽街を形成していた富裕な町であった。
 
白鳥神社 しらとりじんじゃ
 (市史跡)
 高屋町郷の標高353mの山頂にある白鳥古墳の上に建てられた神社で、祭神は日本武尊。楽音寺古神明帳に二位白鳥明神と記されている格式の高い神社であった。
 縁起によると、景行天皇のころ、日本武尊が伊勢の国で死去し、遺骸を納めた棺の中から1羽の白い鳥が飛び立ち、大和、河内、讃岐の各国をめぐって安芸国高屋のこの山頂で姿を消したという伝説が残っている。
 古墳からは鏡、環頭太刀、勾玉が出土している。
 
新宮神社 しんぐうじんじゃ
 (市重文)
 創祀は大同二年(807)。当初は新宮と賀茂社の2社あったが賀茂社が焼失したため新宮に合祀したとある。その後金比良神社、国松神社、諏訪神社を合祀した。
 創祀以来約250年毎の修理記録が残る貴重な神社である。