亀ヶ岡文化の特色

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今日亀ヶ岡式土器といわれるものは、さきの後期で述べたごとく、粗製土器精製土器に分けられ、粗製土器はわれわれの日常生活における鍋・釜類と同様の煮炊き専用の容器で、器面に単純な縄文が施されている深鉢や甕(かめ)などであり、器台の付いた深鉢も加えることもできよう。これに対し精製土器は、『新編弘前市史資料編1(考古編)』一〇一頁に示したように器形の種類も多く、器面を磨き、あるいは丹(に)・朱(しゅ)を併せて塗るなど、かなり手数をかけて作られている。なかでも後期から受け継いだ香炉形土器などは形状はもとより、浮き彫り的な装飾は遮光器(しゃこうき)土偶とならんで、土器製作技術の極致ともいえるであろう。土器とならんでこの時期の土偶も粗製と精製があり、粗製は粘土で人の形に作り上げたもので、手足はもとより眼・鼻・口・耳などの器官のほか、手足には指の数まで表されたものもある。ただし破損させることを前提に作られた結果、胎土はもとより、体部器官の表現も粗雑である。精製土偶遮光器土偶といわれるように眼の誇大な表現をはじめ、頭頂部・顔面部の彫りや肩・手の怒り方表現および体部の文様など、粘土を充分に吟味し磨きをかけ、焼成後に丹あるいは朱を塗るなど祭祀的な匂いの感じられる遺物である。なおこの精製遮光器土偶は、頭・体・手・足などは中が空洞(中空という)であり、粗製のものは体部・手足とも中は土が充てん(中実という)されている。
 亀ヶ岡文化を代表する遮光器土偶の名は、坪井正五郎(つぼいしょうごろう)(東京大学人類学教室の創立者)により命名された。ロンドンの大英博物館で実見したエスキモー(現在はイヌイットといわれる)が、雪の反射光から眼を守るために使用していた遮光器、つまりサングラスまたはゴーグルにヒントを得て命名した名であるが(81)、雪の影響のない静岡県大井(おおい)川流域でも発見されており(82)、名称の由来は妥当性を欠いている。私見であるが、自然を相手に生活を営んでいた縄文人が眼の重要性を表わしたものではないかと考える。原因はともあれ失明の状態に落ち入ったとすれば生きていくのさえ難しく、保護を受けなければならぬ状況を想像すると、眼に対する思い、眼の重要性を認識した考えの表現であり、その考えが遮光器なる形で誇張されたものと思われる。