目次
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新編弘前市史 通史編2(近世1)
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第1章 統一政権と北奥の動向
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第四節 豊臣政権への軍役
一 伏見杉板の賦課
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天正十九年(一五九一)九月の
九戸一揆
鎮圧から間もない十二月、
豊臣秀吉
は
関白
(かんぱく)職を甥の
豊臣秀次
(ひでつぐ)に譲り
太閤
(たいこう)と呼ばれることになった。秀次への
関白
職譲位は、この年の八月五日、愛児鶴松がわずか三歳で早世したことがその要因と考えられている。
秀吉は、翌文禄元年(一五九二)早々に
関白
の政庁としての
聚楽第
(じゅらくだい)を秀次に譲り渡し、自らの
隠居
のための
城普請
(ふしん)をその年の八月から
伏見
(ふしみ)において開始した。これが
伏見城
である。