目次
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新編弘前市史 通史編2(近世1)
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第4章 幕藩体制の動揺と民衆
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第一節 藩体制の動揺
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一 宝暦・天明期の飢饉と農村
(一)宝暦の飢饉
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宝暦五年(一七五五)に北日本一帯を襲った宝暦の
飢饉
は、元禄・天
明
・天保と並んで、
東北
の四大
飢饉
の一つといわれる。しかし
津軽領
の場合、「
封内事実秘苑
」(資料
近世
2No.六)に「今年の
凶作
は全国的な
飢饉
となり、特に
国元
では寛延二年の
凶作
を上まわり、元禄以来の大
凶作
になったが、領内で
餓死者
は出なかった。つまるところ政治がよかったからだと、人々はありがたく思った」と述べられているとおり、元禄以来の
飢饉
と認識されながら、藩の適切な対応で
餓死者
が出なかったという希有な例と評価されている。