(一)宝暦の飢饉

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 宝暦五年(一七五五)に北日本一帯を襲った宝暦の飢饉は、元禄・天・天保と並んで、東北の四大飢饉の一つといわれる。しかし津軽領の場合、「封内事実秘苑」(資料近世2No.六)に「今年の凶作は全国的な飢饉となり、特に国元では寛延二年の凶作を上まわり、元禄以来の大凶作になったが、領内で餓死者は出なかった。つまるところ政治がよかったからだと、人々はありがたく思った」と述べられているとおり、元禄以来の飢饉と認識されながら、藩の適切な対応で餓死者が出なかったという希有な例と評価されている。