雨・雪と道路

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道路の整備に関しては、延宝九年(一六八一)正月二十一日の日付をもって制定された「町人法度」(前掲『御用格』寛政本第一三)の「道橋之事」に六ヵ条みられるが、その第一条に、道や橋は往来の妨害になったり、旅人へ迷惑にならないよう常に掃除しておくことが規定され、第二条には、大雨や長雨の時には道路に水がたまり、ぬかるような状態になった際には、道路を歩けるよう整備し、往来に支障が出ないようにすることが定められている。道路は災害によって破壊された時には、人々の生活に大きな影響を与え、元どおりに修復するには容易でなかったことはいうまでもない。

図19.城下の道路状況に関する国日記記事
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 災害のない通常の年においても、道路の状態は、春の雪解け水、夏の大雨、冬の積雪によって悪くなる場合が多い。春・夏・冬期の道路を年代順にみていくと次のようになろう。
 寛政十一年(一七九九)八月には、藩士の在宅引き揚げ(藩士土着制の失敗により藩士の農村居住から再び城下への居住)に際し、藩から彼等に対して、近年は水道堰を清掃していないため、雨天の際は水たまりができ往来の妨害になっている、今回は藩の屋敷方で堰を掘って水が流れるようにするから、今後は各家々で垣根・屋敷の周囲の清掃、水道堰の塵芥上げなどをするように、という触が出されている(前掲『御用格』寛政本 第一八 寛政十一年八月二十四日条)。
 水道堰とは、道路の垣根沿いの少し低くなっている所で、雨が降った時の排水溝になるくぼ地である。夏に雨が多く降った際に、水道堰が整備されていなければ、道路に水がたまって泥道になり、往来が妨げられていたのである。
 文化十二年(一八一五)二月には、武家町町人町の道路に春の雪解け水による水たまりができ、人馬の往来が困難になっているので、家々の前の道路は自分たちで整備しておくよう藩から命じられている(「国日記」文化十二年二月七日条)。
 文化十三年(一八一六)十二月には、武家町町人町、さらに寺社に対して次のような触が出されている。すなわち、雪が降り積もっても自分の屋敷前の道路を除雪せず、そのため往来が困難になっているので、速やかに雪かきをすること。特に町人町では屋根に積もった雪を道路に下ろし、そのまま踏み固めているので道路の片側が高くなって傾斜ができ、橇(そり)や駕籠などはもちろん、人馬の往来に支障を来している。今後は屋根から雪を下ろす場合には、道路を隔てた両側の家が申し合わせて、雪による傾斜が道路にできないようにすべきである。また、子供たちがそり遊びをしているために道路が凍って、滑りやすくなり、転んで怪我をする者が出ているので雪道の整備をすること(同前文化十三年十二月二日条)。
 このように、春の雪解け水、夏の大雨、冬の積雪は、城下の交通に大きな障害になっていた。そのため藩では交通網を確保するために、城下に住む人々に対し、それぞれの屋敷前の道路を整備するよう、その徹底を図らざるをえなかったのである。