婚礼・仏事の接待

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婚礼仏事は通過儀礼の代表的なものである。前掲『津軽家御定書』寛文八年(一六六八)三月二十二日条に、婚礼の際は二汁五菜とみえており、「国日記」正徳四年十一月一日条には仏事婚礼は二汁三菜を過ぎてはならないと記され、「国日記」寛延三年八月四日条にも二汁三菜とある。
 「国日記」正徳元年八月二十六日条には、大要次のようなことが記されている。
一、婚礼は近年身のほど以上に贅沢になっているようである。料理は二汁五菜以上にならないようにせよ。もちろん、嶋台(しまだい)などの飾物は厳禁する。そのほかのお祝いに、料理は二汁三菜を越えてはならない。

一、仏事に際しても軽くするようにして、料理は一汁五菜を過ぎないようにすべきである。

 このように、婚礼の時の食事は二汁五菜~二汁三菜程度、仏事に際しては一汁五菜と区別していたのである。
 「国日記」明和五年(一七六八)三月九日条、享和三年七月十二日条(資料近世2No.二〇八)、文化四年十二月十五日条、文政十年十二月二十八日条に、婚礼仏事の際には一汁三菜とみえている。

図94.壽宴の図

 「国日記」文化八年(一八一一)九月一日条では一汁二菜、さらに嘉永六年(一八五三)十二月十一日条には、一汁二菜とあるが、婚礼の時の祝膳で取肴(とりざかな)に五〇〇石以上の者とそれ以下の者とに分けられた。
 以上のように年代的にみてくると、婚礼仏事に際しては、藩政中期までは二汁五菜~二汁三菜であったが、藩政後期以降は、宝暦改革を初めとしてその後の改革にもかかわらず、藩財政の窮迫は藩士の生活を圧迫し、一汁三菜から一汁二菜へと倹約が一般化し、藩士の生活が追いつめられてきたのである。