瓦の移入

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先にも触れたように、領内で使されたには国移入とがあった。「国日記」延宝五年(一六七七)七月十七日条に、御が十三に着岸、当座必要の分は弘前へ搬送し、残りは十三に囲い置くように、との記述がある。移入ルートは上方から海路日本海を北上して鰺ヶ沢に着岸、ここでいったん荷揚げのうえ、藩庫に収納され、小廻しで十三へ廻送されたが、十三への廻送は主に十三から鰺ヶ沢への米積み舟の帰路を利した。十三に陸揚げしたはひとまず囲っておき、必要に応じて岩木川をさかのぼり、板屋野木(いたやのき)(現北津軽郡板柳(いたやなぎ)町)で陸揚げ収納、さらに川舟で三世寺(さんぜじ)(現市内三世寺)へ移送し、三世寺から城下へと運ばれた。十三から板屋野木へは、板屋野木より十三への米積み舟の帰路を利していた。