(1)御目見以上の子弟はすべて入学すること。
(2)二〇〇石長柄奉行以上の嫡子は十歳よりすべて入学すること。入学できない者はその理由を申し出れば、繰り延べができる。
(3)禄一五〇石四奉行以上の嫡子は十歳から十五歳のうちに入学すること。できない場合は申し出ること。
(4)嫡子であっても壮年の者の入学は随意とする。
(5)次、三男はすべて十歳以上年齢にかかわらず入学すること。
(7)親並の者の入学は自由とする。
(9)文武諸芸のうち一芸だけの入学も願いのうえ許可する。
(10)御目見以下であっても、格別に志のある者は師の願いにより入学を許可する。
(12)在宅の次、三男は学寮ができるまで、通学可能の者のみ入学を許可する
(「封内事実秘苑」)。
以上の規定からすると、義務入学者(御目見以上の適齢者)、随意入学者(御目見以上の壮年者)、許可入学者(御目見以下で格別の有志者)に大別できるが、藩が主眼に置いたのは入学を義務づけた階層、すなわち藩の執政を将来担ってゆく者たちへのエリート教育であったことがおのずとわかる。また、藩は当時、藩士の農村土着政策をとっていた経緯から、寄宿施設としての学寮を一層充実させてゆく必要に迫られていることも知られる(資料近世2No.二八四)。