図177.平尾魯仙
図178.岩木山図
画人魯仙は、同時に国学者・民俗学者魯僊でもあった。魯僊は暗門の滝をはじめとした郷土の美しい自然の姿を写生して画家として本領を発揮すると同時に、領内各地に伝わる説話や奇談・怪談を積極的に収集してこれを書き残している。それらは「合浦奇談」三巻(安政二)、「谷の響」五巻(万延元)としてまとめられた。これらは平田派国学が民俗学として展開していった一つの到達点を示す作品といえる。篤胤は鬼神や神霊の実在を信じて疑わなかったが、魯僊はその篤胤の思想を継承し、神霊の実在を民間説話の中で実証していこうとしたのである。
近代日本における民俗学の成立に大きく貢献したのは柳田國男である。柳田は民間伝承や習俗の内に織り込められた民間信仰を通して民衆の心の世界を明らかにしようとしたが、国学の伝統にはそうした民俗学の方法に先駆(さきが)けて、それを準備する面があった。魯僊の仕事は国学が民俗学へと発展してゆく学問的可能性を示すものとして大いに注目される。
魯僊は鬼神や霊界をめぐってのさまざまな儒学説を厳しく批判し、大著「幽府新論」八巻を著している(資料近世2No.三三八)。「幽府新論」は、その名のとおり、「幽世(かくりよ)」、つまり幽冥界のことを論じた著作であり、篤胤の幽冥論や鬼神論に傾倒し、その学説を和漢の膨大な典籍から博引傍証し、「神霊」「鬼神」「心霊」の活動と幽冥界の実在を証しようとしたものである。魯僊は身の回りに起こる怪奇の現象に、人智を超えた「神霊」「鬼神」の不思議な働きをみた。魯僊は、人は死ねばその魂魄(こんぱく)は散滅して「天地の気」に帰ってゆくというようなものではなく、魂魄の神霊は、この世ではあるが、生者からはみることのできない「幽世」(幽冥界)にとどまり、「顕世(あらわによ)」に生きる我々を見守り、監視しているという。こうした魯僊の霊魂観や幽冥観は、津軽特有の豊かな宗教的土壌を背景に押し出されてきたものであり、津軽の人々の心の奥にある豊饒(ほうじょう)な宗教感覚を言説化したものである。
図179.幽府新論 巻八
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