耕春院(こうしゅんいん)(現
宗徳寺)は、「
長勝寺並寺院開山世代調」によれば、
曹洞宗現空派に属し、
龍泉寺(越前)の末寺で、天文十一年(一五四二)、田舎館村に為信の二男惣五郎を開基として創建された。「
曹洞諸寺院縁起志」には、為信が実父守信のために
堀越村(現市内)に創建したとある。また、開山明室は晩年を為信に命じられて田舎館村に住み、信枚は二世連室に帰依していたため、惣五郎の葬式の導師を頼み、東根の
曹洞宗寺院の支配を任せたという。
正徳元年(一七一一)の「
寺社領分限帳」によると、寺領一〇〇石は為信が寄進している。慶長年間(一五九六~一六一四)、
長勝寺構の中に下寺(したでら)の首座として移転した。大正元年(一九一二)、廃寺同様になっていた本寺
宗徳寺を合併し、耕春山
宗徳寺と改称した。
図217.宗徳寺