信枚

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二代信枚は寛永元年(一六二四)、熊野山へ代参を送り、将軍家の息災延命、藩主家の子孫繁昌、藩国家の安全を祈った(資料近世1No.四一九)。
 この年、信枚は天海に帰依し、天台円頓戒(えんとんかい)の血脈を授けられ、天海の一字を得て津梁院殿寛海(しんりょういんでんかんかい)と称し、天海の弟子本祐の常福寺菩提寺にすることを頼んだ。国元では慶好院(金勝院)に求聞持の秘法を修することを命じたところ、この秘法は藩主の寿命を縮めることもありうると答えた。信枚は「子孫下民」のためには寿命一〇年を縮めてもよいと考え、岩木山中に虚空蔵(こくうぞう)菩薩を祀る求聞持(ぐもんじ)堂(現求聞寺(ぐもんじ))を創建したという。信枚は、それまでの津軽家菩提寺としてきた曹洞宗から天台宗に改宗した。