青森県の地租改正作業は、明治七年(一八七四)十一月に着手された。まず、郡村地については、土地に、各字ごとの番号を付し、字にも番号を付した。地図を、字限りと村限りの二葉作成し、字限りの地図には、筆ごとの地形、地目、地番を記入した。また、合計反別も記入した。村ごとの地図には、字ごとの地形を描き、字番号と合計反別を記した。
土地の測量(地押)は、村民に委ね、区、戸長は関与しなかった。官吏は、測量の際に臨検した。測量の方法は十字法または三斜法を用い、官吏がその技術を伝えることになっていた。実際には九割が十字法を用いて測量した。
地価調査に用いる穀価は、津軽郡については米価と大豆価を用い、青森町、黒石町、弘前町、鰺ヶ沢町、五所川原村が調査地であった。二戸、三戸、北の各郡については、米価、大豆価、稗価を用い、福岡町、一戸町、浄法寺町、五戸町、三戸町、八戸町、田名部町、野辺地町、七戸町が調査地であった。
一筆ずつの土地の評価については、村民の協議に任せ、官吏はこれに干渉せず、土地の等級の範囲のみを制限するとともに、各村の平均上の地位を官吏が調査した。
収穫については平年作に注目し、一反当たりの収穫を予想し、これを村内に配賦し、村内検査の目的とした。また、利子については、運輸や耕地の条件により上下することを認め、一村全体については一定の程度を設定しても、村内の一筆ごとの土地については、村内の協議に委ねた。郡村の宅地については、その村の上畑の地価を基準とした。
市街地の地租改正の手順は以下のようであった。まず、測量は十字法が用いられた。市街の周囲や道路などは測量しなかった。官吏による検査は、町ごとに、筆数の多少があるので一定しないが、一町内の一、二ヵ所または四、五ヵ所を試しに検査した。なお、地租改正の結果は、表7のとおりである。
表7 地租改正による新旧反別および地租比較 |
大区 番号 | 本部 所在地 | 旧反別 | 改正 反別 | 反別比較 | 旧税額 | 新税額 | 税額比較 | ||
増 | 減 | 増 | 減 | ||||||
町 | 町 | 町 | 町 | 円 | 円 | 円 | 円 | ||
1 | 青 森 | 6,447 | 11,596 | 5,149 | - | 70,890 | 69,239 | - | 1,651 |
2 | 黒 石 | 9,986 | 14,015 | 4,029 | - | 138,966 | 115,948 | - | 23,018 |
3 | 弘 前 | 7,344 | 10,845 | 3,501 | - | 89,261 | 71,202 | - | 18,059 |
4 | 鰺ケ沢 | 7,054 | 12,664 | 5,610 | - | 64,577 | 69,703 | 5,126 | - |
5 | 五所川原 | 10,232 | 14,807 | 4,665 | - | 80,296 | 94,368 | 14,072 | - |
6 | 田名部 | 1,658 | 3,282 | 1,624 | - | 2,258 | 3,968 | 1,709 | - |
7 | 七 戸 | 8,185 | 16,071 | 7,886 | - | 18,882 | 36,759 | 17,877 | - |
8 | 五 戸 | 7,983 | 12,755 | 4,772 | - | 30,358 | 37,031 | 6,673 | - |
9 | 八 戸 | 9,431 | 14,370 | 4,939 | - | 30,259 | 38,564 | 8,305 | - |
計 | 68,320 | 119,205 | 42,175 | - | 525,747 | 536,782 | 11,035 | - |
青森県農地改革史編纂委員会編『青森県農地改革史』昭和28年、64頁 |
ちなみに、弘前の市街地について、百石町の集計部分は表8のようになる。
表8 弘前百石町地租改正結果 |
宅地 | 反別 | 収穫 (円) | 地価 (円) | 収穫金 (1反歩) | 地租 (円) | |
総計 | 10895坪6合 | 3町6反3畝 8歩 | 95.709 | 1018.181 | 30.545 | |
9等反別 | 6反5畝10歩 | 29.204 | 310.681 | 4.47 | 9.321 | |
11等反別 | 1町3反2畝23歩 | 46.601 | 495.755 | 3.51 | 14.872 | |
18等反別 | 1町3反6畝12歩 | 17.459 | 185.734 | 1.28 | 5.572 | |
20等反別 | 2反8畝23歩 | 2.445 | 26.011 | 0.85 | 0.78 |
弘前市役所所蔵『地租改正帳』による |
このように土地制度改革が進められたが、この改革は、近代社会の税制や土地利用の原則を確定した大きな改革であり、多大な労力を要した。