試験法と地方集合試験

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明治政府の教育の特徴としては、試験がきわめて重要視されたことである。これは学校に権威を持たせるためだったらしい。試験には小試験、定期試験、大試験の三種があった。小試験は教員が任意に行う日常の成績の考査で、定期試験の成績が悪いと小試験の点数が勘案された。定期試験は進級のための試験で五月と十一月の二回行い、大試験は下等・上等とも終了時に行う卒業試験である。その学校の教員が試験員となったが、この試験のときは学区取締をはじめ県学務課官員、師範学校長が立ち会って行われた。また、通常試験は原則として希望する者は誰でも見学できた。このような厳重な試験法では、雰囲気に押されて実力が出せず、落第する者が多く、和徳小学では三五・四%が落第した(明治十一年一月)。落第生の父兄は一年間の出費が無駄になるばかりか、さらに一年の出費がかかるので、退学させるのがほとんどだった。厳重な試験法は教育の普及と就学率の上昇を阻害する一面を持っていたのである。

写真56 和徳小学定期試験点検調
(明治15年6月)

 地方集合試験は明治十年ごろに始められ、十三年に至って廃止された試験法である。県が郡あるいは同一地の学校生徒を、一堂に集めて試験を行う制度で、県が国庫補助金を各小学に配分するに当たって、教育奨励を兼ねて年二回行われた。試験の結果、各小学の成績によって国庫補助金の配分金額が決定した。参加の生徒数によって、試験が数日続くこともあった。
 国庫補助金は、試験に参加した生徒数(一人五銭)と及第者数(一人一〇銭)に応じて支給されたので、各小学間に激しい競争心を巻き起こした。また、県は試験結果を「集合試験成績兼補助金割当表」として公表したので、各小学の成績は一目瞭然である。表18に明治十二年上半期の中津軽郡各小学の成績及び金額の一覧を掲げる。十二年当時、中津軽郡には四七校が開校していた。
表18 地方集合試験成績兼補助金割当表(明治十二年上半期)
校 名試験人員及第人員劣等及
落第人員
試験人員ニ割当
タル補助金額
 一人ニ付五銭
及第人員ニ割当
タル補助金額
 一人ニ付十銭
及第%備   考
円 銭円 銭
白銀二五七一九〇六七一二、八五一九、〇〇七三・九二一番小学改め現朝陽校
敬業一四一七五六六七、〇五七、五〇五三・一九新鍛冶町にあり、現大成小前身
盈進一二八一〇九一九六、四〇一〇、九〇八五・一五百石町にあり、現時敏小前身
蓬莱一五六一二八二八七、八〇一二、八〇八二・〇五中土手町にあり、現大成小前身
知類一四九一三八一一七、四五一三、八〇九二・六一松森町にあり、現大成小前身
和徳二四六二二九一七一二、三〇二二、九〇九三・〇八二番小学改め
亀甲一五一一二一三〇七、五五一二、一〇八〇・一三亀甲町にあり、現時敏小前身
白疆一〇七八七二〇五、三五八、七〇八一・三〇袋町にあり、現城西小前身
博習二〇四一三八七〇一〇、二〇一三、四〇六七・六四鷹匠町にあり、現城西小前身
木別二三一八一、一五一、八〇七八・二六養正小の前身、時敏小に合併
 
校 名試験人員及第人員劣等及
落第人員
試験人員ニ割当
タル補助金額
 一人ニ付五銭
及第人員ニ割当
タル補助金額
 一人ニ付十銭
及第%備   考
円 銭円 銭
川田三八三〇一、九〇三、〇〇七八・九四養正小の前身、時敏小と合併
百田二〇一七一、〇〇一、七〇八五・〇〇城東小前身
西田四〇三五二、〇〇三、五〇八七・五〇城東小前身
富田五二三五一七二、六〇三、五〇六七・三〇進修小の前身、和徳小と合併
清水森二五一七一、二五一、七〇六八・〇〇千年小前身
知新三四二三一一一、七〇二、三〇六七・六四福村小前身
三二一三一九一、六〇一、三〇四〇・六二千年小前身
外崎四八三六一二二、四〇三、六〇七五・〇〇豊田小前身
為善六二四四一八三、一〇四、四〇七〇・九六堀越小前身
大和沢一七一〇、八五一、〇〇五八・八二千年小前身、のち大和沢小へ復校
小沢一九一九、九五小沢小
青柳三七二七一〇、七五二、七〇七二・九七青柳小
石堂一五一四、七五一、四〇九三・三三
鳥井野二六二一一、三〇二、一〇八〇・七六
抱流五三四七二、六五四、七〇八八・六七
駒越二九二〇一、四五二、〇〇六八・九六
藤代二二一四一、一〇一、四〇六三・六三致遠小前身
石渡一〇、五〇、九〇九〇・〇〇致遠小前身
中崎三二二八一、六〇二、八〇八七・五〇三省小前身
三世寺二一一六一、〇五一、六〇七六・一九三省小前身
種市一三、六五、四〇三〇・七六新和小前身
三和二〇一四一、〇〇一、四〇七〇・〇〇三和小
十腰内一九一一、九五一、一〇五七・八九修斉小前身
大森四五四〇二、二五四、〇〇八八・八八草薙小前身ならびに小友小前身
鬼沢二一一六一、〇五一、六〇七六・一九自得小前身
 
校 名試験人員及第人員劣等及
落第人員
試験人員ニ割当
タル補助金額
 一人ニ付五銭
及第人員ニ割当
タル補助金額
 一人ニ付十銭
及第%備   考
円 銭円 銭
高杉二〇一一一、〇〇、九〇四五・〇〇高杉小
独狐三四一四二〇一、七〇一、四〇四一・一七高杉小と合併
鼻和四五二二二三二、二五二、二〇四八・八八船沢小前身
新岡一八一一、九〇一、一〇六一・一一
諏訪一三一二、六五一、二〇九二・三〇
百沢、四〇、四〇五〇・〇〇
一九一〇、九五一、〇〇五二・六三東目屋小の前身
番館三二二一一一一、六〇二、一〇六五・六二東目屋小の前身
村市一九一五、九五一、五〇七八・九四
相馬一七一一、八五一、一〇六四・七〇
紙漉沢一九一三、九五、六〇三一・五七
女子師範学校附属含英一六七九一七六八、三五九、一〇五四・四九現在の大通りにあって女子のみ収容、十六年廃校となる
計 四七二七二三一九九六七二七一三六、一五一九九、六〇七三・四四
(注)及第%と備考欄は筆者が書き加えたものである。県布達乙第三六八号による。