大正四年(一九一五)十月二十日から三日間にわたって、弘前市を中心に津軽平野一帯において特別大演習が行われ、弘前第八師団、仙台第二師団、旭川第七師団が参加した。大演習御統覧のために大正天皇は十九日に弘前に行幸、二十五日まで第八師団司令部に滞在された。
天皇の行幸と大演習及び観兵式参観について、市小学校長会は一ヵ月前から協議を重ね、その対策を練った。大正に入って、天皇はいよいよ神格化され、行幸に際して万一児童に不敬の所為があってはと、校長会はそれを恐れて再三会議を開いた。
天皇が弘前にお着きになったのは十月十九日午後五時二十四分。天皇鹵簿(ろぼ)を、弘前および中郡、南郡の各小学校児童は御順路沿道で奉迎したが、和徳小学校は「午後五時二十分天皇御着三年以上ノ男女一同代官町角ヨリ北方ニ於テ」、朝陽小学校は「三年以上停車通リ」致遠小学校は「三学年以上四時半富田ニ於テ 凰輦ヲ奉迎ス時恰モ黄昏ナルニ依リ皇威イヤニ尊厳天皇旗ヲ先立チ静粛謹慎ノ間ニ御通過」。また、鹵簿御順路に当たる第一大成小学校は自校正門前で、第二大成小学校は松森町で奉迎した。
弘前市内各学校は大演習参加の軍隊に大方使用された。和徳、第一大成、第二大成小学校は兵士宿舎用に使用され、軍隊に使用されなかった小学校は、大演習見学にやって来る他郡市生徒の宿泊所に充てられ、朝陽小学校など、二十三日に青森県師範学校生徒職員四〇〇人が宿泊している。以上のように天皇の御送迎や大演習見学などで、学校ならびに児童は多忙をきわめたが、その間二十日から二十七日まで、弘前市内小学校は臨時休校している。