昭和恐慌の勃発と商工業

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 第一次世界大戦中に日本は欧米諸国に倣って金輸出を禁正し、金本位制度は一時停止されていたが、浜口雄幸内閣の井上準之助大蔵大臣の主導のもとに、昭和四年(一九二九)に金輸出の解禁を決定し、翌五年に解禁が実施された。この政策は物価を押し下げ、金融を緊縮させ、不況の一層の深まりを招き、昭和恐慌を生んだ。全国的な経済不況は青森県にも及び、特に農産物価格の下落は農村の不況をもたらした。弘前市でも商圏内の農村の不況は商店街の売れ行き不振につながり、それまでの不況が一層深刻化した。
 昭和六年(一九三一)には弘前市に本店を置く弘前銀行が臨時休業するなど、不況が深刻化した。また、同年は農村が冷害の被害を受け、不況を加速した。これに対し、県をはじめ官民は政府に冷害対策実施の陳情を行い、財政支援を取り付けた。その内容は肥料、種籾購入資金や内務省土木費の支出であった。
 昭和六年に犬養内閣が成立すると、高橋是清大蔵大臣は金輸出を再度禁正し、円安の為替政策、積極財政を展開し、経済の好転を図った。弘前市の景気は急激に改善せず、昭和七年に至っても不況は続いていた。このため、昭和七年に、青森商工会議所弘前商工会議所、八戸商工会は連名で、中小企業の救済を求めた陳情を行った。その文章は次のとおりである。
  青森県中小商工業者救済に就き陳情書
 我青森県下中小商工業者は、年来の深刻なる不況に加へて、一面には昨秋未曽有の大凶作並に今夏の大水害に影響せられ、農村需用品の減退は勿論、売掛金回収の不能が資金の固定を招来し、一面には昨年末突発的金融恐慌に遭遇して以来、未だに金融梗塞の域を脱するに至らす、為めに中央市場に対し商取引の信用を失墜し、現金取引の強制愈々烈しく、仕入勘定の督促益々酷なり、若し夫れ小商工業者に至りては、手持商品を徒食して没落の運命を待つあるのみ、而して北国厳冬の時将に到らんとし、年末決済の期二ケ月に迫る、県下商工業者の不安恐怖日一日と濃厚を加ふ、而かも満洲派遣軍士の名誉ある遺骨頻々として到り、之れを迎ふるや駅頭粛として声なしと雖も、民衆群を為し、隣近貧なりと雖も衣を脱して猶ほ慰霊の祭に努む、嗚呼若し万一斯る場面と窮状とが在満北門健児の知る処とならんか、其心情果して如何、真に寒心憂慮に堪へざるなり
 如此苦境と悄愴とに沈淪せる県下中小商工業者の精神は、今や正に真剣化し、時局は非常時化せり、此秋に処し、速かに応急適切なる匡救対策を施すなくば、問題は独り斯業界に止まらず、経済的に社会的に、県並に大小都市の危機に関する重大問題を惹起するに至るなきを保し難し
 政府は今回中小商工業匡救対策として、金融に関し、又統制的諸施設に関し、夫々方策を発表せられたり、我等は一般的対策として必ずしも反対するものにあらずと雖も、死線を彷徨する、県下中小商工業者に対する救済としては、実情に隔たるもの多々あるを遺憾とするものなり、殊に金融に関しては、新たに道府県損失補償制度の実施を勧奨せられたる点あるのみにして、融通形式、経由機関、償還期限等は依然として従前と同様なるに至りては、遂に又徹底と実効とを期する能はず、単に画餅的宣伝に止まり、前三回の如く一〇分の一の融通を為し得ず、却て失望者を嗾出し、申込者の窮況を一層悪化するに了るは火を賭るよりも瞭なり、又融通形式と経由機関との関係に見れば、昨年本県が興業銀行に対し普通銀行の保証を為せしにも拘はらず、殆んと融通を為し得ざりしに徴するも、今后新令に依り、県は損失の補償を為すとするも、普通銀行が金融を引受け得ざるの状態にあり、従て営利的貸付機関の利用は尠なくとも、本県の現状に於ては一片の空文的対策たるに過ぎざるを信ずるものなり
 是れ県下商工団は猛然蹶起して、地方長官、県会並に市町村長の諒解を求め、同業者六万の連署を以て政府当局に向って至急救済的精神に立脚せる、徹底的低利資金貸付方法の断行を要望すべく、県選出代議士、県会委員、三市長町村長代表並に、商工団実行委員同道拝趨の上、陳情するに至りたる所以なり
 尚ほ其方策に於ては、御賢慮に俟つの外なしと雖も、左記要項に就て深甚の御考慮を賜はり、特に本県の為め、至急適切の方策を断行せられ度く、茲に謹而及陳情候也
  昭和七年十月 日
                           青森県商工団
                              青森商工会議所
                              弘前商工会議所
                              八戸商工会
 首相、大蔵、内務、商工各大臣
 貴衆両院議長宛
(前掲『弘前商工会議所五十年史』)

 昭和八年(一九三三)には、中小商工業者は産業組合の購買活動の拡大に反対して反産運動を行った。これは、産業組合が、組合員以外にも商品の販売を行うことが法律違反であり、中小商工業者を苦境に追い込むというもので、全国的に展開され、弘前商工会議所も各種の会合に代表を派遣し、また、提案を行ったりした。