この昭和六年九月、石岡彦一は全国農民組合本部へ次のような手紙を書いている。
青森県連合会下湯口支部準備会たる事 早や四年であるがいよいよ階級意識を持って我も我もと今最中署名捺印に廻り、後三、四日にて県議選挙とともに旗上げすることです。本支部は下湯口と悪戸と連合して清水支部となるのです。清水村の無産農民も今では自分の苦しい事と資本家、地主の為めに苦められつつある事に目はさめ、全農の支部でなければ吾々は闘争しても地主に勝たれないというので青年も老人も勇敢に戦ふ決意であります。
青森県弘前市外清水村下湯口
清水村準備会 石岡彦一
全農本部御中
一九三一・九・一五
青森県弘前市外清水村下湯口
清水村準備会 石岡彦一
全農本部御中
一九三一・九・一五
凶作地の農民は稗、粟、南瓜、ソバ、甚だしきはワラビの根、藁餅(わらもち)、河骨(こうほね)の根を常食とし、困窮家庭の児童たちは欠食のために甚だしき栄養不良に陥って教室に倒れ、口から出たのは青草だった。炉にかけていた秕(しいな)(くず米)と青菜の雑炊の鍋さえ盗まれた。
写真89 清水農民組合(昭和23年頃)(矢印が石岡彦一、最前列左端から三浦勝三郎・大沢久明・田村文雄・津川武一、二列目左端から二人目が大高勝次郎)