独立校舎への夢

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併置や間借り生活から抜け出し、独立校舎を持ちたい、というのは、どの中学校も描いた最大の夢である。昭和二十四年度の「青森県教育要覧」によると、県内中学校二八五校のうち、独立校舎を持つ中学校はわずか八六校、三〇%にすぎない。
 第二中学校では、父兄たちがいち早く期成同盟会を結成、独立校舎建築を目指して校地の選定や市理事者への陳情など、活発に運動を進めていた。当初は、二中・四中合併論があったため、校地も両校の中間地点たる弘前公園内を候補地としたが、その後、二中、四中ともそれぞれ独立校舎を希望したこと、また、公園内は史跡の関係で学校建築は無理なことがわかり、下町の誓願寺付近を候補地と決めて交渉を続けた。最終的には誓願寺北東地域(現城西小学校)に絞って交渉に当たった。こうして二中ではわずか二年ほどで二十五年七月落成の独立校舎を持つことができたが、これも期成同盟会の熱意や地域の協力があったからである。
 なお、時敏小学校に併置していた第一中学校は、北横町に新校舎を建築、昭和二十六年七月に移転している。第四中学校は仮用附属中学校の解消のあと、中郡和徳中学校の校舎を借用するなど、長い間不自由を強いられていたが、関係機関の陳情により文部省モデルスクール候補校に決定した。同校は、昭和二十七年四月、富田字桔梗野(現樹木五丁目)に総工費一億二〇〇〇万円の予算で工事に着手、二十八年一月一期工事の鉄筋コンクリート造三階建ての校舎が完成、同年二月五日に移転した。第三中学校は、昭和二十三年四月、市立高女と同居していた曙町旧第三一連隊兵舎から、富田町安原(現豊原一丁目)の旧陸軍野砲兵第八連隊兵舎の改造校舎に移転、すでに独立校舎を持っていた。