観光といってもいまさら当たり前のように感じるかもしれない。しかし今日でいう観光の概念が本格的に国民全体に行き渡ったのは戦後からである。もちろん戦前までも十和田湖が国立公園に指定されるなど、観光が一つのレジャーという意識はあった。けれども戦前までの日本の国民層は農家が中心であった。農作業に追われる人々にとって、観光という概念はなかなか定着しないだろう。まして観光が国民全体のレジャーとして定着する余地はほとんどなかったと思われる。
敗戦後の打ちひしがれた国民に夢を与えたものは観光である。観光に焦点を当て産業化したのは高度経済成長前後あたりと思われる。この時期に弘前市も観光という目玉産業に着目した。戦争の終結により、弘前市は軍都の象徴として、政治・産業の基盤だった第八師団を失った。戦後は第八師団に代わる弘前市の象徴と産業基盤を見出すために、弘前大学を新設し、学都弘前をめざした。だが学都弘前だけでは戦前・戦中の第八師団と比べ、産業的基盤に欠けるのは否めなかった。
弘前大学の設立は、将来の弘前市ないし青森県を牽引する若い人材を育成するための重要な設備だった。しかし大学を設立し、大学生を集めるだけでは戦前・戦中期の弘前市の経済を支えた第八師団の威力に遙かに及ばない。そのために弘前市が新たに選んだ選択肢は、観光都市の実現だったのである。