弘前城内の植物園造営

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敗戦第八師団が解散させられるまで、弘前城三の丸一帯は兵器廠だった。戦後弘前市は学都に生まれ変わり、同敷地も弘前大学教育学部が所有することになった。弘前大学の移転に伴い、都市緑化植物園の整備を進めることになり、昭和六十三年(一九八八)五月三十一日、植物園が開園することになった。開園当日は市民や観光客六〇〇人が園内を散策し、「有料開園初日としては上々のスタートとなった」。一五〇〇種、一二万四〇〇〇本の樹木を植栽し、世界各地の高山植物を集めたロックガーデン、季節の移り変わりを感じとれる花ごよみの径(みち)など二三ヵ所で四季折々の草花が楽しめるよう工夫されている。弘前城軍都弘前の軍事施設から、学都弘前にふさわしい施設に生まれ変わったわけである(資料近・現代2No.六一八参照)。