市がもっとも力を注いだ水道行政

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今日当たり前のように水は存在する。水道をひねればいつでも水が飲める。現代人にとっては至極当然のことと思っているようだが、このような状態になるまでの人々の努力は、計り知れないものがあった。水道設備に対して弘前市民の要望は高かった。もちろんそれは単に飲料や炊事のためだけではなかった。清潔な水を確保するためには上水道設備が必要だった。だが水道設備が完備するまでは、近代日本の通常家庭は井戸水を使用することが普通だった。
 けれども戦後の高度経済成長期に生活環境が激変し、大量の水が必要になると、地下水の汲み上げ過ぎから生じる地盤沈下が問題となった。化学肥料の普及や鉱工場が進出し、土壌汚染も心配されるようになった。井戸水にかわる清潔な上水道設備を求める声は、次第に市民の間に広まっていたのである。
 水道行政は弘前市の衛生行政にとって、とくに重要視された事業だった。戦前にも水道設備についての市民の要望は強く、トラホーム対策など市当局も整備に力を入れていた。大火トラホーム・伝染病など、災害衛生問題水道行政の歴史を大いに向上させる背景になっていた。水道設備に乏しかった戦前・戦中期の弘前市で、水道当局に関わった人々は、戦後の座談会で市当局がいかに水道対策に熱心に取り組み、苦労を重ねたかを披露している。戦後になっても上水道の整備をはじめ、下水溝施設や側溝を整備し、住宅排水や水洗便所を取り入れるなど、行政当局はさまざまな措置を講じていたのである。弘前市役所に残る膨大な水道行政の簿冊は、市当局がいかに水道行政に熱心に取り組んだのかをかいま見せてくれている。