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(八三)松江宗訥

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 松江宗訥(茶事談、茶人系傳全集及び其他の書には、宗納とあるも、今は墓表及び山上宗二記に從ふ)は堺市之町中濱の人。【錢屋錢屋と號し、富豪を以て聞こえ、(數寄者名匠集)【紹鷗門】茶湯武野紹鷗に學んだ。(茶事談、茶人系傳全集)子あり宗安といふ。(松江宗安墓誌)【所有の名器】家に天下三幅の名品たる、無準圓照禪師墨蹟の一幅を所藏した。卽ち其一は烏丸家に、一は松井友閑にあるものである。又四十石の茶壺は、もと京都千本の道提から出で、足利義政に移り、後更らに奈良の蜂屋淨佐の手に移り、轉じて宗訥之を所持したが、終に豐臣秀吉に獻じたといふ。(數寄者名匠集)天正十八年正月十五日歿した。法號を木庵宗訥居士といふ。(松江宗訥墓表)南宗寺の塔頭德泉庵に其墓碑がある。